ぷれジョブ🄬ってなあに。
「ぷれジョブってなあに?」
という詩を2008年作りました。
その一節にこんなところがあります。
『ぷれジョブってなあに
まちの風景がかわっていくこと
ひとのかおがやさしくなること
生まれてきた意味を考えること
生まれてきてよかったと思うこと
ひとが大好きになっていくこと
出会えたことに感謝したくなること
またあした元気にがんばろうと思うこと
ぷれジョブってなあに
ライカで撮った写真のようなもの
昔なつかしいところに戻っただけのような気になるもの
空き地で子どもがあそんでいたのに似てるかも・・・と思うこと』
ライカのカメラといっても、マニアの人以外はもうあまり知っている人はいないかもしれませんが、ぷれジョブ🄬は新しいつながり方(ゆるくてたくさんあるつながり方)の活動なんですが、はじめるとからだが分かるようで、「懐かしい」と皆さんいわれることが多いのです。
昨日、インタビューを受けた、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構「働く広場5月号」が届いて、この雑誌を見ながら一つ思い出したことがあります。
私の父は(有)山陽油工という会社を経営していました。こどもの私はこの「こうば」をあそび場にして大きくなりました。ボイラーを焚く重油のにおいや音、大きな機械や小さな機械やドンゴロスと呼ばれていた麻の袋の手触り、、たくさんの面白い形の道具、そして父と母がはたらく姿がそばにありました。
住居の隣は「岡部鮮魚店」で、おじさんは近所の子どもを勢ぞろいさせて一列にして、口を開けた子どもたちに「ナマコのこのわた」を一本?づつ入れてくれたのがおやつでした。
障害のあるおねえちゃんのたえちゃん一家がつくるお豆腐屋さんもすぐ近くにありました。いろんな人が生きていたのに自然と触れていました。
子どもを力の足りない不完全な人間と見られることなく、そのままの今の存在で入り混じる場所、息の楽にできる場所がひっそり暮らしの隅っこにありました。すき間で子どもは育ちました。おとなもそれを見て、息をつきながら暮らすことが普通でした。
今の時代には、もうそんな風に自由に子どもたちが工場やお店に出入りすることは、安全管理上とか、、さまざまな理由でできません。綺麗にされて、余裕もなくなり、すきまがあちこちなくなってしまった。
このぷれジョブ🄬という方法は、現在の社会の中ですきまを生み出す活動です。
「空き地で子どもが遊んでる」
「近所のこうばで子どもが遊んでる」に近い感覚だといわれます。
企業の皆様にかかるのは、毎週1時間、決まった曜日の決まった時間に地域の子どもがやってきますので、担当者を決めていただき、付き添いのジョブサポーターさんに仕事を伝えてください。仕事はかんけいをつくる媒介です。企業さん内にジョブサポーター役をつくって対応してくださるところも多くなりました。すべては話し合いで決めていきます。
就労支援ではないので雇用契約なしです。
何かができるようになるためではありません。
これを読んでくださっている企業の皆さん、
ぷれジョブ🄬に参加なさいませんか?
親御さんの顔を見ながら答えを忖度し気持ちを言えなくなった障害のあるおとなを企業の方が雇用することはなかなか大変なご苦労を伴います。長年、時間をかけて自分の意志があるのかないのか、意思は深くもぐりこんでどこにあるのかわからなくなってしまう方も多く、それは「はたらく」からも「好きなコトを選ぶ」からも遠い存在になってしまいます。
自分の意志を表現できるようになるまでのリハビリにもとても時間がかかります。
個人として大切にされる一人の人。
家庭や学校ではない、
自分の意思が出せる場大事にされる場を提供ください。
また、保護者の方が子どもを社会へ託すには、一歩踏み出すには、
ゆるくてやわらかい、ひとの信頼の積み重ねが必要です。
企業の社会的役割には
「営利的役割」、
「倫理的役割」、
もう一つ「子どもの居場所」があるのではないかと思っています。
生きもののいのちが育つには、わくわくしたにおいのする、わくわくした道具のある、わくわくした人の居る場所に居ることが必要です。
ぷれジョブ🄬はたくさんの人、モノ、コトに出会います。
子どもの良い絵柄が顕われるようです。