「浮田要三と『きりん』の世界」展レビュー  高橋敦さんよりいただきました

「浮田要三と『きりん』の世界」展レビュー  

会期中に掲載できずにごめんなさい。




小海町高原美術館のある、小海町在住の高橋さんより感想をいただきました。

木工作家さん、

浮田さんの姿とかさなるかたです。

ちいさなお嬢さんがかりきりんのLIVEで聞いた「音と光」をLIVEがすんでからも

ずっとお気に入りに歌っているそうです、まっすぐにからだにはいるんですね、

うれしい。

(187) かりきりん/音と光 - YouTube





【レビュー】


小海町の高原美術館で9月17日から「浮田要三と『きりん』の世界」展が開催されてい ますが、「浮田要三と『きりん』の世界」と言われても、浮田要三って誰?『きりん』っ て何?という人がほとんどだと思います。  


私にとってもそうなのですが、たまたま私はこの展覧会の企画協力者である宮尾彰氏を 知っていて、宮尾氏から浮田氏のことや『きりん』のことについて、展覧会の始まる前か ら聞く機会があり、聞くたびに浮田氏や『きりん』についての興味が深まっていく経緯が ありました。  


結論から言うと、この展覧会はとても素晴らしいものですし、こういう展覧会を小海の 美術館が開催したということも素晴らしいことだと思うので、ぜひ足を運んでください、 ということなのです。  



まず、『きりん』について解説していきたいと思います。『きりん』とは、戦後すぐの 1948年から1971年まで発行された子どものための詩や絵の雑誌のことです。子ど もが書いた絵や詩を竹中郁氏や足立巻一氏らが選んで掲載したものだったそうです。浮田 要三氏は、この雑誌の発刊から十数年、編集の中心として関わっていたのです。  



この雑誌がどれほどの意義を持っていたのかは、当時を知らない私たちは、この展覧会 にある資料や、様々な人の証言から想像するしかないのですが、例えばこの雑誌に投稿し ていた当時の児童が、半世紀以上も経って開かれたこの展覧会に、わざわざ遠く関西から やって来たことを見ても、雑誌『きりん』がそのご本人にとってどれほど大きな意味を 持っていたかを察することができるでしょう。  



他にも例えば、哲学者の鶴見俊輔氏は「『きりん』は日本の地下水である」と言ってい たそうです。この地下水という言葉も、何か非常に大事な何かなのだろうということを思 わされます。  



でも私たちがよく名前を知っている人の中で、最も『きりん』と関わりが深かったのは 灰谷健次郎氏でしょう。灰谷氏は、作家になる前の小学校の教員時代に、自分の生徒たち の書いた詩や絵をこの雑誌に投稿していたそうで、それらの作品を集めたものに『せんせ いけらいになれ』があります。  



展覧会では『きりん』の中を読むことはできないので、代わりに『せんせいけらいにな れ』にでてくる詩を読むと、子どもが正直な気持ちを隠さずに書いたものがたくさんあ り、灰谷氏も、取り繕った作品よりもそのようなものに高い評価を与えていることがわか ります。  



子どもが先生に対して、自分の中にある悪い感情まで正直に表現できるというのは、よ ほどの信頼関係がなければできないことです。大人の方が力も知識もあり、権威を盾に子 どもを裁くことは簡単なことだからです。  



そういった権威をむやみに使わず、子どもを深く理解することに努める。子どもはそう いう大人を信頼して、正直な伸び伸びとした表現ができるようになっていく。そういう子 どもが健全に成長できるような土壌が、雑誌『きりん』の周りにはあったのではないで しょうか。鶴見氏が言った地下水とは、そのような世界を指しているのではないかと私は 想像しています。  



そして、その中心で働いていたのが浮田要三氏なのです。ただ、経営は苦しかったらし く、発刊から十数年で『きりん』の発行は理論社が担うことになり、浮田氏はその編集か ら身を引くこととなります。そしてその後の『きりん』は質の違う雑誌になったそうで、 浮田氏が関わっていた時のような世界を創ることはできなかったと聞きます。  



私自身は、理論社の発行した『きりん』についても何も知らないので大変恐縮なのです が、理論社を率いた小宮山量平氏は、大変良心的な方だと思っていたし、それこそ灰谷健 次郎氏を作家として成功させたような有能な編集者だったと認識しております。おそらく あとを託す人物としては最もふさわしかったと思いますが、それでも純粋な気持ちだけで やっていたような浮田氏たちの作ったものには敵わなかったということなのかもしれませ ん。  



一方、灰谷健次郎氏は作家として成功した後も、『きりん』の世界をずっと大切にし続 けました。今回の展覧会には、浮田要三氏が関わっていた時代の『きりん』百六十六冊が 全て展示してありますが、それは灰谷氏が持っていたものだそうです。  



灰谷氏は晩年、病気で自分の死期を悟ると、自分の所蔵していた『きりん』を小宮山量 平氏に託しました。小宮山氏もおそらくはご自身が『きりん』の世界を充分に継承できな かった後悔も含めて、ずっと『きりん』に対する思い入れがあったようで、病床で娘さん に「一番大切なのは『きりん』だからね」と言い残して亡くなります。  



その後、灰谷氏が小宮山氏に託した『きりん』は、上田のエディターズミュージアムに 所蔵され、それを見つけたのが今回の展覧会の企画協力者である宮尾彰氏です。その価値 の重要さに気づいた宮尾氏は、この『きりん』の世界や浮田要三氏の仕事をあらためて世 の中に広めるべきだと考えて、この展覧会を企画するに至るのです。  



このようにして見ていくと、様々な人の思いがなんとか繋がれてこの展覧会まで漕ぎ着 けたことがわかります。ここにも地下水の流れのような、何か大きな力の働きを感じずに はおれません。生きづらさがクローズアップされ、世の中がばらばらに分断されている今 だからこそ、『きりん』の世界に思いを馳せることには大きな意味があると思うのです。  



最後に浮田要三氏の美術家としての側面にも簡単に触れておきたいと思います。  



私自身は、浮田氏のような現代美術や抽象画について、ほぼ全くわからない人間ですの で、その良し悪しについて語ることはできないのですが、少なくともこのような背景を 持った人が描き続けたものだということを念頭に置いて、見ていきたいと思います。『き りん』の編集を行なっていた時代に「具体」の美術家たちと出会って、『きりん』を辞め た後は袋工場で生計を立てていた浮田氏が、晩年になってから作品を作るようになりまし た。長い中断がありながら、ずっと現代美術に対する思いを持ち続けてきたところに、何 かがあるように思うのです。  



展覧会の会場で販売されているリーフレットも力作です。きっとこの展覧会の理解に大 きな助けになると思うので、ぜひ買って読んでいただきたいと思います。

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