「美術館で作品をみる」を考えてみる:ポスター (筆者撮影)
小海町高原美術館で「浮田要三と『きりん』の世界」展を開催してから、早いもので一年が過ぎました。遡って日誌を辿ると、一昨年の今日、名取館長、中島学芸員、平井章一先生とご一緒して、大阪茨木市のご遺族宅を訪問して最初の打合せを開いていました。
前回のブログでも触れたとおり、今年は浮田要三没後10年を記念する展覧会がこれまで合わせて3回、大阪、奈良、千葉で開催されました。
そして、年の終りに、高原美術館の中嶋学芸員から、思いがけない知らせが届きました。
昨年の展覧会を機に、浮田さんのご遺族と生前親しく交流された方々から館に寄贈された浮田作品4点を含んでの企画展を開いてくださるとのこと。記念の年を締め括る素晴らしい企画に感謝すると共に、展示をとても楽しみにしています。
小海町高原美術館の展覧会は、開館から26年を経て、特に現代アートにかかわる独自の視点に立った企画展が積み上げられて来ました。今年だけを振り返っても、春の太田隆司氏のペーパーアート展、夏のイン・ポライト・カンヴァセーション「礼儀正しい会話で」展、秋のシンビズム5「信州ミュージアム・ネットワークが選んだ作家たち」展と、展示内容に一貫して流れる現実社会との対話を意識した精神と鑑賞者の主体性を引き出す展示上の工夫が着実に蓄積されて来た感があります。
今回の「『美術館で作品をみる』を考えてみる」というユニークなタイトルも、こうした脈絡の上に生まれて来たにちがいなく、展示される作品も、現代美術、写真、映像といった複数のカテゴリーを横断しています。当然、この挑戦的な展示には、美術館の力量が問われていますが、こうした企画の生まれること自体にそれが明確に現れているでしょう。
ここで、今回の極めてテンション(緊張感)の高い展覧会の内容に浮田要三の画業を代表する晩年の作品が含まれていることに、あらためて注目したいと考えています。
幸い、私は直近の企画『シンビズム5』の会期最終日に行われたアーティスト・トークに参加することができました。今回、インスタレーション作品を出展した横山昌伸は、展覧会に向けて数カ月間小海町に住み込み、町内のさまざまな地場産業に携わり、そのレポートを動画や紙媒体の文書という形で作品化しました。トークの内容もそれにかかわった内容で、学生時代に社会学を修めた横山氏ならではのユニークな報告会となりました。同時に、氏が自己の表現の基に据えておられるセザンヌの「視覚」論が披瀝され、「モティーフを拓く」という刺激的なテーゼにそれが籠められているのには、大変興味を惹かれました。
私たちは日頃何気なく作品を「見て」いますが、それは想像以上に「既存のシステム」に捉われ、規制された行為なのかも知れない――。
おそらくは、このトークで語られた「『見ること』そのものへの問い直し」というテーマが今回の企画に発展的に継承されているものと思われます。作品と作品の間に敢えて距離を置くことにより、それらと向き合う鑑賞者が一点一点の作品とより注意深く対峙する時間が期待されているようです。
浮田要三の作品も4点に絞られ、ますます作品の迫力と味わいが増すことを期待します。
先週末に会期を終えた千葉県西船橋のギャラリーK&Oオーナーの神田氏と話した折に、「浮田さんの作品は国境を超える」という話題になりました。今回再び展示される、真っ赤に塗り尽くされた巨大なキャンバスに潔く「L」が置かれた代表作は、争いの絶えない世界の何処に置かれても、見る者の心を震わせるエネルギーを湛えています。
(2023年11月23日)
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