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『きりん』を読む・10


 1950(昭和25)年の7月号、8月号、9月号を取り上げる。子ども向けの読み物は新たな書き手を得て、誌面はますます充実を見せる。後に『きりん』展で大阪市立美術館を会場に提供する森啓は本格的なセザンヌ論の連載を始める。そして、9月号からは尾崎橘郎に代わって星芳郎が発行者となっている。



第3巻第7号:1950(昭和25)年7月号


表紙絵:辰見節子(小学生) 挿画:山崎隆夫

とびら絵:西村喜美子(小学生)

特選詩数:5 詩数:53 綴方:5


           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.吹田市の小学校6年女子による静物画。構図と色の配置が秀逸。具象画でありつつも

   一歩抽象の世界に踏み入ったかのような作品。裏面には「全日本児童詩集」の広告。

図2.大阪市立田辺小1年生になった山口雅代さんの作品。縁側で神様に手を合わせた姿を

   母親に見られ、機転を利かせてはぐらかす内容。アールヌーボー調の挿絵も秀逸。

図3.大阪市立美術館学芸員だった森啓が、今号から「りんごの好きなポォル・セザンヌ」

   と題して本格的な絵画論の連載を開始。泰夫人もアーティストで茨木市に在住した。

図4.「完全給食実施記念作文学年別コンクール」の募集広告はカルピス食品工業株式会社

   による。審査委員に大阪市教育長を迎え、優勝賞金は五万円に相当する給食用品。



~内容の紹介~

 「綴方教室」の坂本遼の評に「教えてもらったり、直してもらった作文は、すぐにわかります。」という厳しい表現が見られる。坂本は、毎月編集部に寄せられた作文の束を本当に一作ずつ精読していたようで、その「粘り強い」と言いたくなるような子どもとの向き合い方が、選ばれた作品にも反映しているかのようだ。今号では紹介出来なかったが、ようやくこの時期には詩の選評と並んで作文(綴方)の選評が誌面に定着してきた印象がある。




【宮尾の読後感】

 森啓氏の名前は、かねがね浮田さんの文章に1955年12月に『きりん』展を開催する際に多大な協力を得たとの記述が見られたが、「セザンヌ研究家」であったことは知らなかった。一読して、到底子ども向けとは思えない格調の高い名文に驚いた。この後もしばらく森氏の正統的な絵画論が連載されており、『きりん』の保持していた啓蒙的な内容の中核を成している。





第3巻第8号:1950(昭和25)年8月号


表紙絵:まえだとしこ(小学生) 挿画:伊藤継郎

とびら絵:無記名

特選詩数:4 詩数:43 綴方:無し



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図5.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.芦屋市岩園小学校女子生徒の作品。学年は未記載のため不明。雨の描線、人物の配置

   など、大変印象深い秀作。天真爛漫な『きりん』ならではの典型的な絵画だ。

図2.めずらしく作者の記名が無いが、特徴のある描線は表紙絵の魅力にも通じる。私は、

   一目見て『浮田さん好みの絵だな』と感じた。忘れがたい魅力を蔵した作品。

図3.選者の竹中が、五行を書いて一行空け、最後の六行目でしめた絶妙な表現の才を絶賛

   している。「独りで」は、自(おの)ずから朝顔が花を咲かせたことへの感嘆の念。

図4.西田秀雄、青野馬左奈、伊藤継郎、須田剋太の四者による児童画の紹介記事が秀逸。

   創刊二年にして、詩論のみならず絵画論で本格的な誌面を実現していることに驚嘆。

図5.森啓の連載には本格的な図録レベルの画像が惜しげなく配されている。子どもに向け

   たメッセージに胸が熱くなる。作品はセザンヌの『納棺の化粧』(1986年)



~内容の紹介~

 「四つの美術教室」の記事には、執筆者の四者が主宰していた美術教室の作品を集めた『半鳩会子ども美術展』が大阪の阪急百貨店で7月末に開催されたとの記述が見られる。

 それぞれ、教室の子どもによる作品の画像を添えながら、独自の絵画論が展開されており

当時の関西地域における美術教育の重層性と熱気が伝わって来る。特に須田剋太の論文では自身の絵画への目覚めについての回想も含まれ、読み物として一流の内容だ。




【宮尾の読後感】(浮田さんのあとがきから引用)

 「とびらにつかった幼稚園の生徒の図画作品をよくみて下さい。すなおに、自分の目で、自由にかいています。みなさんの詩も、この幼稚園の生徒の絵のように、他人のまねをしないで、見たまま、感じたまま、思ったとおりに、かいて下さい。(中略)それこそ、みなさん方にとって、もっともりっぱな、もっともとおとい作品なのです。」

 すでに、晩年に至るまで一貫した浮田さんの絵画論が、明確に示されている。

 




第3巻第9号:1950(昭和25)年9月号


表紙絵:なかおのりまさ(小学生) 挿画:井上覚造

とびら絵:重なか(小学生)

特選詩数:7 詩数:54 綴方:無し



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.京都市内の小学二年生男子の作品。縁取りを含む構図の精緻さ、深みのある色彩感、

   文学的な情緒すら湛えた画面に驚く。浮田さんのレイアウトも作品に添っている。

図2.端正にまとめられたもくじのレイアウト。とびらえも表紙絵に劣らずの秀作だが、

   多彩な才能を輩出した京都市立富有小5年生の少女のクロッキー。緑の使い方の妙。

図3.両ページとも、小学校低学年女子の思索的な詩作品。井上覚造の挿絵も重厚さに充ち

   優れた陶器の絵付けのような気品が漂う。子ども向けの雑誌とは思えない和の静寂。

図4.鳥取県の小学六年生男子の詩作品の欄外に、「ヘルン生誕百年記念文芸入選作品」と

   あり、同号に竹中による「日本人の恩人ハーンのこと」と題した文章が見られる。




~内容の紹介~

 ハーン(ヘルン)の住んだ松江出身の少年は遺品となった父親の写真を眺めて回想する。

「ヘルン先生の文学が好きで、ヘルン先生の話をいつも母と僕とにしてくれたた父。『いやだな。ヘルン先生の生まれたお国と戦争しにいくんだよ。ヘルン先生とけんかしにいくみたいだ』とさびしく笑っていかれた父。ああ、それっきりになっちゃった。」

 少年の透明な詩に向き合い、文化の力を読者に訴える竹中の真っすぐな心持が沁みる。



【宮尾の読後感】

 誌面には直接現れていないが、この号から発行者の名前が尾崎書房社主だった尾崎橘郎氏から、実弟で浮田さんの盟友だった星芳郎氏に替っている。尾崎書房が傾き、『きりん』の編集実務が若き二人の青年の手に委ねられて来た経緯がうかがえる。

 足立巻一が『思想の科学』誌に寄せた貴重なインタビュー記事に出てくるバラック小屋が浮田さんの父親の理解で自宅の敷地内に建てられることになったのも、この頃であろうか。

『きりん』編集者浮田要三の実務も、この時期から更なる充実を見せることになる。



あとがき

 最近になって、二年前に小﨑唯さんのご厚意で資料室にお預かりしている旧浮田蔵書から『竹中郁全詩集』を手に取り、読み出した。

 あらためて、郁さんが生涯を通じて『きりん』に寄せた熱意と誠意を噛み締めている。

 わけても、戦後間もなく尾崎書房から出版された『動物磁気』の作品群には、家と蔵書を空襲で失った悲嘆の只中から立ち上がろうともがく40代前半の詩人の息遣いが感じられ、

若き日の浮田さんが受けた影響の大きさを思わされる。


                             (2024年6月15日)


謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.com)



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