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『きりん』を読む・11


 今回は、1950(昭和25)年の10月号、11月号、12月号の三冊を取り上げる。小型サイズに生れ変ってから一年半が経過し、毎号のページ割りなどもかなり定型化しつつある印象。10月号で発行所が尾崎書房から「日本童詩研究会」へと変更され、12月号でその住所も大阪市西区本田町に移されている。浮田さんのご家族の住む敷地内に建てられた小さな家が事務所兼星夫妻の住居となったのも、おそらくこの時期からであろう。



第3巻第10号:1950(昭和25)年10月号


表紙絵:杉林博子(小学生) 挿画:秋野不矩

とびら絵:尾崎裕子(小学生)

特選詩数:16 詩数:54 綴方:無し



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.京都市富有小二年生女子の作品。西田秀雄の指導で既に有名だった同校らしい秀作。

   人物の表情の描写も素晴らしいが、背景の花を散らしたグラデーションも美しい。

図2.「長らくおまたせしました。初版は発行部数が少くたいへん迷惑をおかけしました 

   が、いよいよ再版を発行、目下販売中です。」定価:280円 送料:40円

図3.山口雅代さんの散文詩「ふうりん」は家族の風鈴への反応をつぶさに描いている。

   挿絵は秋野不矩(1908ー2001)。詩情を鋭くとらえて瑞々しく、忘れがたい印象。

図4.「筆のあとが日本画らしくあっさりとしてきれいですね。」浮田さんの感想。秋野

   不矩は、『浮田要三の仕事』を編まれた徳正寺・扉野良人氏の御祖母様である。



~内容の紹介~

 読み物では森啓氏の【ものがたり西洋美術1】として「人間がはじめてかいた画」が掲載されている。有名なラスコー洞窟の壁画をはじめ、アフリカの原始美術の画像がおしみなく紹介され、読み応えも充分な内容。特選詩以外に「三人きょうだいの詩」として、大阪府の

小三、小二、六歳の詩が見開き二ページで紹介されている。

 竹中は詩評の他に「芝右衛門という狸」と題した古典芸能に取材した物語も寄せている。



【宮尾の読後感】

 何と言っても、秋野不矩の挿絵が素晴らしい。後年、浮田さんご自身も『きりん』の絵本で当時の思い出を語っておられる。また、あとがきで森氏の読み物についても敬意を込めて読者に紹介している。三人姉弟が全員『きりん』に投稿する例も現われ、学校現場への定着が図られている様子がうかがわれる。

 また、『全日本児童詩集』の評判もかなり良かったらしく、その影響で投稿される詩の数も増えている、とあとがきにも書かれている。





第3巻第11号:1950(昭和25)年11月号



表紙絵:岡本太一(小学生) 挿画:中西勝

とびら絵:大谷晴彦(小学生)

特選詩数:7 詩数:43 綴方:2



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.大阪市の小二男子の作品。麦畑(? )、川、橋、道、納屋(?)からなる風景画。

   明確で大胆な構図、色彩の絶妙なグラデーションは低学年の作品とは思えない。

図2.めずらしく縦に二段組されたもくじ。カットは富有小四年男子の作品だが、同校で

   毎朝恒例だった「クロッキー教室」の時間の成果。精緻な描線と豊かな表情が秀逸。

図3.挿絵の中西勝(1924ー2015)は神戸市灘区に住んだ洋画家。戦後、同市内の中学校で

   美術を教えた。詩は「詩を書くこと」をテーマにした京都市の小三女子の作品。

図4.雅代さんは前号に続いて特選詩に選ばれている。彼女が詩で描く家族の姿はいつでも

   具体的で微笑ましい。五感の鋭敏さが突出した少女だったのだろう。



~内容の紹介~

 この号も表紙絵の風情が忘れがたい。中西の物語的な挿絵も子どもの作品に添っている。森啓の連載では「黒人の美術」が取り上げられ、狩りの様子を描いたプリミティブな素描画や、木製の人物像などの画像がたくさん紹介されている。文章も本格的で子ども向けと思えない内容だ。竹中は、詩の寸評に加えて「詩の授業」「詩のろうどく」「よい本のすすめ」と三本もの文章を寄せている。


【宮尾の読後感】

 小学二年生だった雅代さんが毎月のように特選詩に選出されていたのは本当に稀有なことだったにちがいない。竹中も、ぐんぐん詩の魅力が増すのが楽しみだったことだろう。

 この号では七つの作品が特選詩に選ばれているが、百枚単位の寄稿作品から選び出す作業を考えると、竹中が後年自らの詩集を『そのほか』と名付けたぐらい、『きりん』での添削

に没頭した愛情と熱意が無ければ、到底続けられるものではない。




第3巻第12号:1950(昭和25)年12月号


表紙絵:まるやまひろし(小学生) 挿画:上村松篁

とびら絵:竹村史郎(小学生)

特選詩数:4 詩数:43 綴方:無し




           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.大阪市内の小一男子の作品。三人の人物の定型化された顔の表情、微妙に変形された

   人体が独特な印象を与える。背景の床や机・椅子などの描写に教室の空気感が漂う。

図2.もくじに与田準一、百田宗治、足立巻一ら、当時活躍中の詩人や児童文学者が並ぶ。

   扉絵は表紙絵と同じ学校の五年男子。人物画の優れた指導が定着していたのだろう。

図3.『きりん』に詩を借りて歌うデュオかりきりんの代表曲の一つの原詩。小学二年生の

   作品ながら、無駄のない言葉の選び方が秀逸。挿絵も詩情を捉えて忘れがたい印象。

図4.百田宗治は「どこかで春が」の作詞者。「鵞鳥のペン」と題して『全日本児童詩集』

   に納められた詩を学年別に紹介している。与田と並んで児童文学界の大御所の執筆。



~内容の紹介~

 百田の文章の冒頭には小学二年生だった山口雅代さんの代表作の一つ「えんどうのつる」が紹介されている。文末には「詩は、自分で自分に言いきかせるように書くのですから、詩ではうその気持ちは書けません。誰も、自分で自分にうそを言う人はいないでしょう。詩のことばがきれいなのは、詩の言葉には「うそ」がないからです。」と書かれている。当時を代表する作家に『全日本児童詩集』の論評を依頼した編集部のねらいも光る。後年浮田さんが語られた言葉にも「うその無いこと」というキーワードがあった。



【宮尾の読後感】

 森啓の連載では「エジプトの美術」が取り上げられ、ピラミッド、スフィンクス、サハラ砂漠、らくだの群れなど、画像もふんだんに添えられている。詩と作文の雑誌でありながら美術の世界を子どもたちに広く深く紹介している『きりん』の編集方針は、すでにこの時期に定まった感がある。その陰で、浮田さんと星さんは尾崎書房から慎ましい小部屋に編集部を移して奮闘していた。こうした背景に思いを馳せながら読む時、一冊一冊の味わいにも、実に深いものがある。



あとがき

 最近『きりん』の創刊期を知る詩人杉山平一(1914ー2012)による『戦後関西詩壇回想』(2003年思潮社刊)を入手して読んでいる。井上靖、竹中郁、坂本遼、足立巻一、小野十三郎といった、初期『きりん』を支えた錚々たる詩人たちの当時の交遊の様子がつぶさに描かれて大変興味深い。「焼け跡の『きりん』」を考える際に、当時の関西詩壇の風景を心に描く必要がある。そこに加えて、吉原治良、須田剋太らの画家が参画したのであるから、子どもたちの前に大人たちが夢中になって共創した「場の力学」は魅力的だったのも至って当然のことだ。


                             (2024年6月29日)


謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.com)


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