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『きりん』を読む・12

 

 今回は、1951(昭和26)年の1月号、2月号、3月号の三冊を取り上げる。1月号のあとがきでは、竹中郁が1948(昭和23)年2月に創刊された『きりん』の3年間を振り返って書いている。挿絵には須田剋太、山崎隆夫、吉原治良と一流の画家が登場する。この時期から、選者坂本遼による「作文(綴方)教室」がようやく定例化され、大変魅力的な作品の紹介と、坂本のヒューマニズムに溢れる評論が読者の心をとらえるようになる。



第4巻第1号:1951(昭和26)年1月号


表紙絵:竹中おり(小学生) 挿画:須田剋太

とびら絵:吉井章(小学生)

特選詩数:5 詩数:59 綴方:無し



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)




解説

図1.選者竹中郁の三女による作品。縦長版時代最後の時期にも一度彼女の作品が裏表紙を

   飾ったことがある。とても小学6年生とは思えない大人びた抒情を湛えた秀作。

図2.足立巻一が「ひげぼぅぼぅのさんぱつや」「方言のななし」と2本の文章を寄稿して

   いる。前者は須田剋太の挿絵で尾崎書房から出版の予定だったが実現しなかった。

図3.岸和田市の小学2年女子の作品。須田の個性と魅力が溢れた具象画の挿絵がページの

   に深い味わいを生んだ『きりん』ならではの誌面構成。

図4.「いろいろ思いだすことがあります。あいだでお金にこまって二三ヶ月休んだことも

   ありました。かなしいことでした。」と三年間を振り返り率直な思いを寄せている。



~内容の紹介~ 竹中のあとがきから引用

 「わたしは年はまだ若いのですが、あたまの毛が白いので、ずい分おじいさんのようにも思われました。みなさんの年ごろの子どもがわたしにもありますから、つまり、まだわたしはお父さんで、おじいさんではないのです。」(後略)

 このあと、親しく交わった東京の洋画家猪熊弦一郎(1902ー1993)に『きりん』の子どもの絵を褒められことが書かれている。



【宮尾の読後感】

 やはり表紙絵の印象は強く、「おじいさんではなく、お父さん」として竹中が『きりん』にかかわっていたことの意味を考えさせられる。それは井上も坂本も足立も同様だった。

 時おり、現在放映中のNHK朝ドラ『虎に翼』に出てくる子どもたちの姿を思い浮かべる。ドラマの中には大勢の「浮浪児」が描かれていた。敗戦直後の世相の中で、大人が子どもに寄せた思いは、共に戦争という大きな試練を潜り抜けた同時代人としての敬意と信頼に満ちていたのではないだろうか?





第4巻第2号:1951(昭和26)年2月号


表紙絵:西尾東三郎(小学生) 挿画:山崎隆夫

とびら絵:今井宏子(小学生)

特選詩数:3 詩数:48 綴方:6



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.大阪市内の小学6年男子の作品で、題は「月夜の北氷洋」(図4.の解説も参照)。

   いかにも『きりん』の表紙絵にふさわしい典型的な作品。竹中の解説も貴重である。

図2.山崎隆夫(1905ー1991)は国画会所属の洋画家。黒猫を描いた作品が印象に残る。    【参照:「山崎隆夫」『日本美術年鑑』平成4年版(297頁)】味わい深い挿絵だ。

図3.個人的な理由で紹介させていただく。長野縣南大井小学校は私の住む小諸市内にある

   現・美南ガ丘小学校。当時、我が故郷にも『きりん』の購読者が居たと知り、感激。

図4.後に、この表紙絵が足立巻一による『評伝竹中郁ーその青春と詩の出発』(理論社

   1986年刊)の表紙デザインに援用された。(装丁:小宮山量平)


~内容の紹介~

 この号では、「作文教室」と題して坂本が4作品、竹中が2作品、合計6作品を選評している。この時期に本格的に坂本の作文(綴方)の選評が定例化された様子がうかがえるが、竹中のウィットの効いた寸評と坂本の滋味深い評論とが双璧を成し、この後長く『きりん』に忘れがたい魅力を与え続けることになる。

 図1.図2.共に、注意して見ると、浮田さんのレイアウトの絶妙な色使いも心憎い。



【宮尾の読後感】

 個人的な記述をお許しいただきたいが、やはり私の故郷から『きりん』に詩を寄せた子どもが居たことに感激した。そこには、担任の先生が居て、家族が居たはずであって、この山深い地にまで大阪発行の『きりん』が届いていたのだ、と想像すると親近感が増してくる。当たり前のことながら、選ばれて誌面に記載されたすべての作品の背後に、その子をめぐる人間関係があったことを考えると、『きりん』が読者(寄稿者)に生活に与えた影響がいかに大きかったか?が思われる。




第4巻第3号:1951(昭和26)年3月号


表紙絵:近藤園子(小学生) 挿画:吉原治良

とびら絵:西川洋子(小学生)

特選詩数:6 詩数:51 綴方:4




           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)




解説

図1.西宮市の小学2年生女子の作品。テーマと言い、構図と言い、色使いと言い、正に    『きりん』の詩や作文の世界をそのまま絵に描いたような印象深い作品。

図2.デュオ・かりきりんも歌う山口雅代さんの名作の一篇。「夕やけの中で 靑いりんご

   たべた」。詩の冒頭から小学2年生とは思えない詩情。吉原の挿絵も大変美しい。

図3.竹中が連載していた「詩の学習」の冒頭にこの詩を引き、「たいへん美しい詩です。

   です。なぜ美しいかということをかんがえてみましょう。」と書いているのは異例。

図4.小学2年生女子の短い日記に寄せた坂本の選評は小さな活字で次頁にわたる長文。

   この号で初めて坂本独特の作品(作者)への近づき方に触れて、私は驚いた。



~内容の紹介~ 竹中の文章(続き)から紹介

 「まず第一、いらぬことがかいてない。いることだけがかいてある。それで美しい。いらぬことをごたごたかくと、詩がよごれてしまうのです。それから、色どりがよいのです。夕やけというと、よむ方のわれわれは、すぐ黄色がかった紅(くれない)のいろを思いだします。家も道も、電信ぼうも、あかくそまりますね。あんなけしきをすぐ思いだします。」

 文章の背後に、作者によせる詩人の特別な信頼が感じられる。

 



【宮尾の読後感】

 2月号とこの3月号でもっとも印象深いのは、坂本遼の作文の選評が本格的に始まったということだ。これまでは、圧倒的に子どもの詩作品が誌面の多くを占めて来たが、少しずつ作文の紹介とそれらに寄せられた坂本の評論が増えて行く。

 吉原治良の挿絵とカットもふんだんに活かされているが、この時期後に師となる有名画家からこれだけの作品を託されるまでに編集者浮田さんの力量は上がっていたと考えられる。

 森啓の連載も好調で、この号では「エジプト美術」が取り上げられている。



あとがき

 最近久しぶりに訪ねた古書店で『藝術新潮』(1991年4月号)「【追悼特集】井上靖美への眼差し」を入手して読んだ。表紙には「作家はかつて美術記者であった!作家・井上靖の旺盛な創作意欲を常に支えていたのは、美しいものを求めてやまない精神と、美の本質を見据える柔らかな眼差しではなかったか」とある。残念ながら『きりん』には言及されていなかったものの、『きりん』の誕生に至る歴史の一端を垣間見る思いがした。

 知れば知るほど、『きりん』の成り立ちがいかに多くの人間の熱意と誠意に支えられていたか、について思いを馳せることになる。


                             (2024年7月15日)


謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.com)



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