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『きりん』を読む・13

更新日:9月26日

 

 今回は、1951(昭和26)年の4月号、5月号、6月号の三冊を取り上げる。4月号には、苦渋の決断として、これまで30円だった売価を40円に値上げすることが告知されている。坂本は、初期に寄せた闇市の少年画家の物語を想起させる「すり」の少女を描いた読み物を寄稿しているが、おそらく実体験に基づいている。また特選詩以外の詩数が80編に近づき、綴方も8作品が選ばれるなど、全国の教室からの投稿も順調に増えている。



第4巻第1号:1951(昭和26)年4月号


表紙絵:はやししろう(小学生) 挿画:津高和一

とびら絵:吹田秀雄(小学生)

特選詩数:5 詩数: 67 綴方:6  

 


           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.岸和田小山滝分校1年男子の作品。同校は、詩、作文、絵画共に多くの傑作を生んだ

   『きりん』史上に残る重要な学校だった。「『きりん』の絵本」にも言及がある。

図2.京都市内の小4女子の作品。大人びた思索の時間が描かれている。挿絵は津高和一が

   担当しているが、作品のエスプリを正確に掴んだ秀作。画家については後述する。

図3.『きりん』創刊以来、初めてとなる値上げの告知。今や当時の経済状況や世相を知る

   由もないが、売価が10円上がるというのはかなりのインパクトではないだろうか?

図4.雑踏で少女に体当たりされ、気がつくとコートが剃刀で切られ財布が抜かれていた、

   という典型的なスリの手口が描かれる。子どもを犯罪に使う大人への憤りが激しい。



~内容の紹介~ 坂本の本文から引用

 「このスリの手さきに使われているかわいそうなスリ子ちゃんは戦災孤児ではないでしょうか?私は、どうしてもそうとしか思えないのです。こんな、気の毒な子をほったらかしておいていいのでしょうか?こんな子にでくわした人が、なんとかして、すくい出してやらなければならないのではないでしょうか?」

 初期詩集『たんぽぽ』から一貫する坂本の貧しい生活への共感が滲む短編。坂本の読み物と綴方教室との響き合いも、『きりん』を特徴づけたかけがえのない功績と言えよう。


【宮尾の読後感】

 津高和一(1911ー1995)は詩人でもあり、戦後関西で主導的な抽象画家だった。この時期以降、『きりん』誌面に須田剋太、植木茂らの画家が作品を寄せているが、のちに

「現代美術懇談会(ゲンビ)」という潮流を介して『具体美術協会』の設立へと続いてゆく戦後美術の歴史に浮田さんが直にかかわりを持っていたことが推察





第4巻第1号:1951(昭和26)年5月号


表紙絵:增永昭仁(小学生) 挿画:須田剋太

とびら絵:須田剋太

特選詩数:3 詩数:78 綴方:8



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.西田秀雄の優れた絵画指導で知られた京都市立富有小5年男子の版画作品。彫刻刀の

   跡も力強い。黄、黒、赤の三色で構成された世界観は晩年の浮田作品にも通じる。

図2.当時、具象から抽象へと移りつつあった須田の画風を如実に示す大変印象的な扉絵。

   絵を活かすために、もくじのレイアウトが従来の形から変更されているのにも注目。

図3.一読して忘れがたい作品。竹中の選評にもあるが、命に向けるまなざしに読者も何か

   を呼び覚まされる。須田の装画も、詩の本質を捉えて「芽」の存在感を伝えている。

図4.新潟県の小5女子の作品。短い詩だが、その背景に一篇の小説にも値する戦時の記憶

   が潜んでいる。敗戦から6年を経てなお子どもたちの中に戦争があったことの証し。



~内容の紹介~ 

 この号でも、須田作品の生む強烈な印象が残る。縦長サイズだった初期『きりん』以来、ひんぱんに作品が寄せられているが、子どもの作品との親和性には、日本古来の掛け軸の美を見るような滋味が溢れる。全編にわたるカットには富有小学校生徒の作品が多数採用されており、この時期、浮田さんがいかにひんぱんに同校に出向いていたかが想像される。


【宮尾の読後感】

 この時期までの『きりん』を通読していると、いくつかの小学校の固有名詞が記憶に残るようになる。浮田さんが「『きりん』の絵本」で感慨を込めて語っておられるように、当時の学校現場には何人もの傑出した教育者が子どもと向き合っていた。「すぐれた作品の背後には必ずすぐれた先生がいた」という浮田さんの述懐の重みをあらためてかみしめる。

 加速度的に閉塞してゆく教育現場の様子を見聞するにつけ、私たちは、本当に『きりん』に学ぶ時を迎えてはいないだろうか?との思いを深くする。




第4巻第1号:1951(昭和26)年6月号


表紙絵:大家敏子(小学生) 挿画:早川良雄

とびら絵:川尻肇(小学生)

特選詩数:4 詩数:66 綴方:4



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)


           図5.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.芦屋市岩園小4年女子の作品。ダイナミックな構図と緻密な描画が魅力的な秀作。

   全体のバランス、色彩、マッティングのような枠組に作品への敬意が感じられる。

図2.『全日本児童詩集』第二集への作品公募にも編集部の勢いが感じられる。下段にある

   さくらクレパスの広告も頻度が高い。『きりん』と美術との深い関係を象徴する。

図3.後に日本を代表するグラフィックデザイナーとなる早川良雄(1917-2009)

   の貴重な初期作品。男女2名による4作品をイラストが支えるレイアウトも見事。

図4.京都市内の小5女子の作品。「私はジャワで生まれた」。インドネシアのこの島は、

   1942年に日本軍によって占領された。作品の内容は、後に補足説明する。

図5.北海道の小4男子の詩『きりん』。教室で担任が「のっているよ」と言いながら生徒

   たちに新刊号を紹介する様子が描かれている。後に、竹中の言葉を紹介する。


~内容の紹介~ 「ジャワ」

 「写真を見ると/私はバブにだかれている/私は ジャワで生れた。/美しい野原のあいだのいっぽん道/そこをまっすぐいくと/洋館だての私の家。/テーブルには いつも/バナナやコーヒーがおかれていた。/まわりに花もようのほられたしんだい/私は それでねた。/前の庭にあったくだものの木。/コーヒー畑/写真を見ると/私は それらのものを思い出す。(「バブ」とは乳母・召使いの意味か?)

 この一篇からも、少女がその後生きたドラマが想像される。詩を寄せた子どもたちにも、さまざまな背景があったことを示す一例。


【宮尾の読後感】

 「この詩を読むと、どんなに「きりん」が子どもたちに、たよりにされているかがわかる。また、すかれているかがわかる。「きりん」のわたしたちも、一生けんめい、よいざつしをつづけるために、つくしましょう。日本じゆうの子どもが、みな「きりん」をよむようにしたいものです。」

 竹中が図5の作品に寄せた言葉からは編集部全員の思いが伝わって来る。巻末に赤い活字で詩の作品が置かれるのは異例。教室と編集部が直結するこの臨場感はインターネット社会を生きている現在人には味わうことが出来ない悦びを含んでいるだろう。



あとがき

 朝ドラに触れてばかりで恐縮だが、『虎に翼』では登場人物の誰もがその人に固有の人生を生きている、という視点が強く感じられる。主役だけがクローズアップされるのでなく、一見「脇役」としか感じられない人物にも、かなり丁寧に物語が付与されている。

 時代設定がちょうど重なるということもあり、『きりん』の誌面から立ち昇って来る一つひとつの物語にも、同じ愛おしさを禁じ得ない。

 主人公が弁護士であり、憲法に定められた人権をテーマに描かれている点も忘れてはならない。世界が分断と排除に溢れている現代にこそ、「子どもと大人が対等に向き合う場」としての『きりん』が再評価されなければならない、と痛感する。


                             (2024年7月31日)


謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.com)



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