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『きりん』を読む・16

執筆者の写真: miyao0107miyao0107

更新日:2月16日

 

 今回は、1952(昭和27)年の1月号から3月号の合計3冊を取り上げる。日本が国として独立を果たした気運が乗り移ったかのような誌面の充実を読み取ることができる。

 竹中、坂本、足立らが呼び込む先鋭の作家や詩人による読み物に加え、吉原の紹介も得て浮田さんが培った画家との交友が徐々に誌面に反映されて行くのが、明らかに感じられる。

 ワンクリックで情報が浮いたり沈んだりする毎日を過ごす中で、気をつけないと破れそうな『きりん』を手に取り、物も言わずに読み耽る幸せは、他の何ものにも換えがたい。



第5巻第1号:1952(昭和27)年1月号 【42冊目】


表紙絵:門田しげお(小学生) 挿画:須田剋太

とびら絵:須田剋太

特選詩数:4 詩数:78 綴方:6 



図1.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図2.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図3.                      (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.驚くべきことに、堺市の浜寺幼稚園園児の作品。前年1951(昭和26)年は、

   浮田さんによれば「現代美術的な作品が輩出された」年だった。この一枚を見ても

   若き浮田さんの内に確かな審美眼が養われていたことが良くわかる。

図2.筆者の宮武辰夫は1892年高松に生まれ、東京美術学校を卒業後、美術教師の傍ら

   世界の原始美術の収集と研究に没頭した人物らしい。本文によれば、表紙絵の作者も

   宮武の教室でこの指絵(フィンガーペインティング)による作品を描いた。

図3.浮田さんが愛した岸和田市山滝小学校6年生の沢正彦君による「牛とぼく」の連作。

   選者坂本遼の詩集『たんぽぽ』の世界観に通じる名作と言えよう。この綴方教室には

   他にも数名による牛に取材した作品が並ぶが、彼の朴訥とした表現の魅力は圧巻だ。



~内容の紹介~

 フィンガーペインティングは1930年頃にイタリアでルーズ・フェイゾン・ショウ女史により始められ、宮武により日本に紹介された描法で、後に邦訳もされ現在も子どもの療育現場で実践されている。宮武による「フィンガーペインティング(指絵)のはなし」から、表紙絵を描いた少年について述べた一節を引用する。


 門田くんがわたしの研究所へやってきて、どろんこのような指絵具をにぎったのです。まえからやりたいやりたいとおもっていた、どろんこのことがいっときにかんがえだされて、ものもいわないでねっしんに、そのえのぐをにぎってはなでなでてはかきました。そして、しまいにはりょう手をおなじようにうごかし、ごしごし音たてて、ゆびでひっかくようにすじをつけてでき上ったのが、このりっぱなげんきな「人の顔」でした。


 彼に限らず、『きりん』が同時代の多くの優れた実践家を書き手に迎えていたことは注目に値する。どのような経過で、この小さな編集部に人材が集まったのかも実に興味深い。



【宮尾の読後感】

 この号の特選詩に堺市湊小学校5年生の鞆房子さんの「しばひろい」「かいむき」の2作が選ばれ、須田剋太の挿絵が付されている。『私が男だったらなあ』というつぶやきには、困窮した母子の生活の中で一日も早く働き手となるべく焦る少女の痛切な心情がこもる。『きりん』の中でも、切実な時代背景を映した代表的な作品とされる。

 著作権の関係から画像の紹介は控えるが、全編に散りばめられた須田によるカットが作品の世界を見事に表現しており、浮田さんとの信頼関係の深さが思われる。




第5巻第2号:1952(昭和26)年2月号 【43冊目】


表紙絵:秋友幹夫(小学生) 挿画:泉茂 東貞美

とびら絵:井出隆造(小学生)

特選詩数:2 詩数:73 綴方:4 



図1.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図2.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図3.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図1.一見して、忘れがたい印象が残る。神戸市立春日野小学校6年の秋友幹夫君の作品。

   いかにも『きりん』ならではの表紙絵だ。モンドリアンを思わせるような構図ながら

   子どもとは思えない沈着な色使いも秀逸だ。当時、東貞美が美術を教えていた。

図2.表紙絵とは打って変わって大胆かつ大らかな描線で描かれている。浮田さんが頻繁に

   訪問して多くの秀作を見出した岸和田市立山滝小学校3年生の井出隆造君の作品。

   お地蔵さんのような3つの顔の印象が深く、いつまでも見飽きない、力のある秀作。

図3.この号では詩の選者竹中による児童作品の枠に綴方の選者坂本による絵日記の紹介が

   挿入されている。京都市立富有小学校には、実に700人近くの購読者がおり、浮田

   さんにも大きな影響を与えた西田秀雄教諭がそのリーダーだった。



~内容の紹介~

 「表紙絵について」は、同校で美術を教えていた東貞美が印象深い評文を残している。


 いままでにでき上ってしまった形や色をうつすよりも、じぶんでかんがえだした形や色。それは世界でただひとつしかないものなのです。そこにはあなたたちの夢(ゆめ)があります。そしてあなたたちは、それを実際(じっさい)にやっているのです。


 この号には、東貞美と泉茂が挿画を提供している。『きりん』を通読する作業を通じて、当時若き浮田さんが関西画壇の最前線を担う若手や中堅の作家たちと親交を深めていた様子が伝わって来る。泉は大阪出身の洋画家・版画家で、当時須田剋太や津高和一らと美術集団「会ヴァリエテ」を結成していた。



【宮尾の読後感】

 この号には子ども向けの読み物として右本アヤ子氏の「さずかり物」が記載されている。ジェンダーの視点から考えると、『きりん』に登場する貴重な女性作家だが、自由律短歌の俳人として活躍し、種田山頭火の顕彰者であった。

 インターネットで検索した範囲を出ないが、右本女史はその後1979年に『大埼事件』の被告とされ、今もなお無実を訴え続けておられる。

『おかあさんと、きょうだいのこどもたちだけで、なかよくくらしているちいさなおとうふやさんがありました。』と始まり、『でも、おとうふやさんはけっして金もちにならずたのしくくらしました。』と終わる見開き2ページの物語からは、彼女の人となりが知られる。




第5巻第3号:1952(昭和26)年3月号 【44冊目】


表紙絵:小南文夫(小学生) 挿画:山崎隆夫 泉茂 森啓 東貞美

とびら絵:山崎隆夫

特選詩数:6 詩数:86 綴方:4 



図1.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図2.                      (エディターズミュージアム所蔵)


図3.                      (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.大胆不敵な構図と言いい、周到に配置された色の使い分けといい、到底子どもの作品

   とは思えない。芦屋市立岩園小学校3年生の小南文夫君の作品。以前も紹介した通り

   同校では優れた指導で知られた吉田一夫教諭を中心に活発な創作活動が実践された。

図2.京都市立富有小学校6年生の伊藤康子さんの詩。この作品は特選詩でなく、児童作品

   の枠に86篇の詩作品の1編として選ばれている。富有小学校を牽引した西田教諭は

   美術教育のみならず絵日記や詩作品といった国語教育にも造詣が深い人物だった。

図3.坂本遼の選による綴方教室の充実ぶりが明確に理解できる子どもの作文と坂本の評。

   兵庫県大路第二小学校一年生のあらきようこさんの作文。同校も『きりん』には頻繁

   に作品が選出される学校だった。当時の婚礼の様子が映像のように描かれている。

   


~内容の紹介~

 吉原治良が寄せた「表紙絵について」から一節を引用したい。


 かたち(形)や線はみたようにかかなくてもこんなにいきいきしたかんじがあらわれるものです。そういえばかおやからだのまるい線がひじょうにかんたんにかかれていますが、うまいぐあいにまん中でむすばれていて、力づよいうつくしさをもっています。


 ここにも、子どもの絵に寄せた批評でありながら、当時の吉原自身の創作論が如実に反映されている。吉原にこの作品の評価を依頼したのもおそらく浮田さんだったと思われるが、こうした編集者と画家との関係そのものが、大変重要な意味を持っていたと言えよう。



【宮尾の読後感】

 この号には、山崎隆夫、泉茂、森啓、東貞美の4者が挿絵を提供している。子ども向けの月刊誌に、これだけの画家が並んで協力しているのは今見ても只ならぬ出来事だと感じる。同時に、読み物にも詩人の天野忠、児童文化評論家の柳内達雄が登場しており、創刊以来の編集者の人脈の層の厚さと幅の広さがうかがえる。

 竹中の「詩のはなし」では、以前に掲載された自分の詩を推敲して2行書き加えて編集部宛てに送った少女を褒めている。

 戦後史の流れを調べて見ると、翌月の4月にはGHQが廃止となり、正式に日本の主権が回復され、手塚治虫の『鉄腕アトム』の連載が始まっている。

 焼け跡から立ち直ろうとするエネルギーの漲る社会の空気が、毎月発行される『きりん』の誌面にも溢れている。



あとがき

 以前もご紹介した、兵庫県の姫路文学館で開催中の生誕120年記念『詩人 坂本遼』展は来る3月30日(日)まで。

 私自身は、もう一度充実の展示をじっくりと拝見する機会をつくる予定だが、詩人坂本遼の全貌を伝えるこの貴重な展覧会に、一人でも多くの方が足を運ばれるよう祈る。

 最近、西田秀雄氏の著作が古本で入手できると知り、『児童画指導の技術』(1958年創元社刊)の初版本を取り寄せ、読んでいる。「もったいなくて、読み終えるのが惜しい」という良書を讃える表現があるが、正にそのような気持ちになる。

 浮田さんが、富有小の職員室に入るなりドサッと『きりん』を詰め込んだリュックサックを机上に降ろして、そのまま西田のいる美術準備室に走って行った、という浮田綾子夫人の

証言が思い出される。西田の骨太で明晰な文章に触れる私にも、その気持ちが分かる。

                             

                             (2025年2月15日)



謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.com)


※『きりん』掲載の絵画(立体)作品および詩・作文などの作品について、著作権者が不明のままであることをお伝えいたします。もしも、ご存知の方がおられましたら、ご連絡くだ

されば幸いです。 (090-5796-7506 宮尾)

 

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