top of page

『きりん』を読む・19


 今回は、1952(昭和27)年の10月号から12月号の合計3冊を取り上げる。

 1950年代初頭は、関西の美術界においていくつもの新たな潮流が生まれたと同時に、前衛絵画と書や生け花などの異種領域が相互に交流した刺激と実験に充ちた時期と言える。

 こうした時代精神は『きりん』の誌面にも顕著に現れており、私たちはそこに若き編集者浮田要三の充実した日常を想像することができる。

 著作権の関係からつぶさに紹介することは叶わないが、須田剋太、東貞美、山崎隆夫、といった第一線の画家が表紙絵や挿画を提供している。読み物の書き手には、竹中、坂本らの編集部に加えて、詩壇でも影響力を持つ小野十三郎がひんぱんに文章を寄せている。

 文学と美術が切磋琢磨しながら相互に影響を及ぼし合う力学が『きりん』という場に生成しているのがひしひしと感じられる。



第5巻第4号:1952(昭和27)年10月号 【51冊目】


表紙絵:いちのせつねふみ(小学生)  挿画:須田剋太・東貞美

とびら絵:生駒彗子(小学生)

特選詩数:3 詩数:61 綴方:3 



図1.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図2.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図3.                      (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.岸和田市山滝小学校2年生男子の作品。以前も触れたとおり、同校は浮田さんが頻繁

   に訪問し魅力的な作品を輩出した。須田が「かたちをつくりだすえ」を寄せている。

図2.大阪市小路小学校6年生女子の作品。ポロックばりのエネルギーがほとばしる秀作。

   作品を活かしつつ文学書に見られる様式的なレイアウトを施した浮田さんのセンス。

図3.坂本が大阪市精華小学校1年生の今井文子さんの綴方を紹介している。彼女はこの後

   も魅力的な作品を書き続けた。坂本による選者のことば、選評共に心が籠っている。

   


~内容の紹介~ 須田剋太「かたちをつくりだすえ」から


 今月号の詩のカットにつかったものは、みなさんが今まで写生(しゃせい)をして、えのべんきょうをやってきたのとは大へんちがったものです。これも、えのべんきょうの一つのやりかたで、オートマチズムといって、写生のように目にみえたもののかたちを、うつしとるのではなく、みなさんのピチピチした心のままに、エンピツなりふでなりをうごかすことによってそれぞれの心をじかにかきつけるやりかたです。だからこれらのえはこれまでにだれもがかきあらわさなかったものを、あたまの中からつくりだすえだということができます。


 ここに記されている内容は、須田が自身のアトリエでの制作と教室での授業の双方で当時模作していた、彼独自の絵画論ではないだろうか?

 今や『きりん』の誌面にしか残されていない、画家須田剋太の思索を探る手掛かり。



【宮尾の読後感】

 小野十三郎(1903-1996)が寄稿した「学級文集十冊」に引用された詩――


  原子ばくだん   岡哲夫


 先生に原子ばくだんの本を

 読んでもらった。

 お父ちゃんが

 「もう十年ほどしたら

 またせんそうがある。」

 といった。

 そのことは、わすれない

 十年したら、

 ちょうど二十二才だ


 これは、兵庫県の船津小学校の文集『ともしび』から小野が選び出した作品。

 敗戦から七年後を生きる十二才の少年が持っていた現実感=時代認識にたじろぐ。




第5巻第4号:1952(昭和27)年11月号 【52冊目】


表紙絵:東貞美  挿画:東貞美

とびら絵:東貞美

特選詩数:4 詩数:70 綴方:3 


図1.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図2.                      (エディターズミュージアム所蔵) 

 


解説

図1.表紙絵から扉絵、カットまでを一人の作家の作品で埋め尽くした号は極めて少ない。

   この号は東貞美の世界観が36頁の全体に漲る。浮田さんと作家との親交を物語る。

図2.巻頭の「特選詩」に続く「児童作品」の典型的なスタイル。見開き2頁を三段に分け

   この場合は11の作品を載せて末尾をカットで埋めている。

   


~内容の紹介~ 図2.の誌面から詩を一篇


  仕事     岐阜県吉里小学校5年 島 すま子


 私は毎日学校を休んで仕事です

 お父さんはもう一日一日といってたのまれる

 休むのはいやだけど仕方がない

 なたねふみやら子もりやる

 ほんとうにつらいなあ

 お友達の顔がうかんでくる

 先生の顔がうかんでくる


 現在の常識に照らせば、人権侵害であり、法律違反、パワハラ、虐待に間違いない。

 『きりん』の誌面には、こうした小学生の勤労の様子を描いた作品が数多くある。

 竹中の選評も「学校をやすむつらさ。たたみこむ言葉(ことば)つきがふさわしい。」と表現の仕方を批評するに止め、子どもが親に働かされることへの批判は含まれていない。



【宮尾の読後感】

 東貞美との交流の深さについては昨年発刊した冊子「焼け跡の『きりん』」でも触れた。

 10月号での解説にも書いた通り、『きりん』の誌面には当時浮田さんが数多くの画家と交流していた様子を映す作品の選択が見られる。それらのいずれもが、当然のことながら、画家の最新作に近い仕事を示す貴重な資料ともなっている。

 ある意味で、表紙絵の作品、もくじを飾る扉絵、子どもの詩や綴方に寄せた挿画・カットなど、夥しい絵画作品の画像には、浮田さんの作品に対する理解が直接反映されている。

 この視点から見ただけでも、166号続いた『きりん』の埋蔵する美術史的価値には計り知れないものがある。




第5巻第4号:1952(昭和27)年12月号 【53冊目】


表紙絵:藤本幸子(小学生)  挿画:山崎隆夫

とびら絵:大野千代子(小学生)

特選詩数:4 詩数:66 綴方:5


図1.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図2.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図3.                      (エディターズミュージアム所蔵)



図4.                      (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.芦屋市立宮川小学校4年生女子の作品。海外の抽象的な彫刻作品を思わせるような、

   見事な作品だが、浮田さんによる赤地のレイアウトの効果の大きさも実に見事だ。

図2.もくじの背景に子どもの作品が配されるのはめずらしい。東京都の今川小学校3年生

   女子のフロッタージュ作品。実に心憎い、子ども向けの月刊誌とは思えない誌面だ。

図3.こちらも「児童作品」の頁のレイアウトだが、子どもの作品を絶妙に散らして置いた

   レイアウトの妙にうなる。冒頭の「平和あぶない」は、以下に全文を紹介する。

図4.「ばくだんのしゃしん」の描写の生々しさ。その横にユーモラスな佳作が置かれる。

   吉田一夫は芦屋市内の学校で優れた美術指導を続けた画家。須田の引用にも注目。

   


~内容の紹介~

 

  平和あぶない  岐阜県荒崎小学校6年 北島 幸夫


 「八月六日はなんのひだ」と先生がきいた。

 「広島に原子爆弾が落ちた日!」

 そうだ、広島に原爆の落ちた日

 そしてまた九日には長崎に落ちた。

 その時の写真がここに出ている

 先生は本をひらかれた。

 手、腹、せなか、しり、

 じわじわにやけている。

 次のページ それは―

 顔ぜんぶがやけてくずれている

 その人は「水水」といっているが、

 五十センチとはなれていないびんを

 とる力もない

 戦争はいやだ!

 ぜったいいやだ!

 世界の人はみんなどう思っているのだろう。

 アメリカは300も原爆をつくった。

 ソ連だって60持っている……。

 

 こんど 戦争になったの

 戦車も、大砲もいらせん。

 原子爆弾一つで

 なん万人という人が死んでいく。

 じわじわやけていく。

 そんな原子爆弾を作っている人は

 どう思っているだろう。

 日本あぶない!

 平和あぶない!


 ながい詩を、だれさせないで書いたのは手がらだ。せんそうのむごさをみて、いやだとかんじたのはただしい。(竹中)



【宮尾の読後感】

 『きりん』を一冊ずつ読み続けていると、少しずつだが浮田さんの思考と嗜好が分かる気がするときがある。たとえそれが、子どもたちの詩や綴方の合間に挟まれて置かれた小さなカット一つにしても、それがその位置に配されるまでの歴史が想像される。

 同じように、夥しい詩作品の傍らに寄せられた竹中の選評や、時には子どもの作品よりも長い坂本の選評からも、二人の選者の思考と嗜好が思い浮かぶ。

 さらには、それらの背後に、教室で子どもたちと向き合う教師たちや、貧しい生活を共に送る家族や近所の人たちの生活の様子が浮かんで来る。

 そして、毎月『きりん』の届くのを待ち焦がれた当時の読者たちの上げる声までもが、私の耳元に聞こえて来るかのようだ。




あとがき

 連日、「トランプ関税」に振り回されているこの世界で、毎日私は『きりん』とその時代に思いを馳せ、この国の戦後史を著した書物に読み耽っている。

 不思議なことだが、そうするうちに、入って来るニュースや情報の一つひとつに奥行きが感じられるようになったり、思わぬところで事件と事件がつながりを持っていることに気がついたりする。

 前回の番外編に続いて、今回も「戦争」を書いた子どもの作品を紹介した。

 あやうくゲームのような感覚に巻き込まれて過ごす日々の生活から、『きりん』は私自身を歴史の只中を進行する今日の現実へと引き戻してくれる。

 今こそが、『きりん』の読み時なのだ。

 

     

                             (2025年4月15日)



謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.com)


※『きりん』掲載の絵画(立体)作品および詩・作文などの作品について、著作権者が不明のままであることをお伝えいたします。もしも、ご存知の方がおられましたら、ご連絡くだ

されば幸いです。 (090-5796-7506 宮尾)



Comments


bottom of page