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『きりん』を読む・7

執筆者の写真: miyao0107miyao0107

 

 1950(昭和25)年1月から3月までの3冊を取り上げる。就学前から『きりん』に登場した「天才少女」山口雅代さんが、小学1年生にして特集される。また、「共同募金」「ふく員列車」と題された綴方からは敗戦直後の世相が色濃く現れている。東京に異動した井上靖の芥川賞受賞を子どもたちに告知する記事にも時代が薫る。



第3巻第1号:1950(昭和25)年1月号


表紙絵:岡本昭平(小学生) 挿画:澤野井信夫

とびら絵:西宮市芦原小学校4年生(無記名)

特選詩数:8 詩数:25 綴方:2




           図1.       (エディターズミュージアム所蔵)



           図2.       (エディターズミュージアム所蔵)



           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図5.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図6.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図7.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.無知な私は、最近テレビの画面でこの表紙絵の風景が京都清水寺の地主神社の入口で

   あることを知った。門を潜る二人の気配や背景の緑が風情豊かに描かれていて秀逸。

図2.見開き2頁の山口雅代特集。竹中郁の寸評に「ほかにものせたいのが四つ五つありま

   したが、ページがないのでこれくらいにしておきました。」と書かれている。

図3~5.3頁にわたる、東京都成城の小学校6年生少女の作品。詳細な観察と克明な筆致

   で駅前での募金活動での様子を描き出している。雑踏まで聞こえて来そうな臨場感。

図6.冒頭は上記作品への寸評。続いては、岸和田市山滝小学校4年生少女の作品。こちら

   は一転して生活感の漂う素朴な日常の描写が微笑ましい。心の気高さを感じる。

図7.この時期から、三和銀行の広告が頻繁に掲載される。記名がされていないもののプロ

   の画家による犬の絵か。(作家を判明された方がおられましたらご教示ください。)



~内容の紹介~

 挿絵を担当した澤野井信夫(1916ー1990)について調べたところ、戦後関西圏で活躍した

画家・デザイナー・編集者とある。彼に限らず、後に名を成す若き表現者たちが『きりん』に集結していた感があるが、今となっては編集者がどのような伝手でこうした作家を登用したのかについては知る術も無い。

 この頃、関東地域から寄稿された作品も増えており、評者にも坂本越郎(東京)を迎え、関西を発信源としながらも、広く全国に向けて詩や綴方の作品を募っていたことが伺える。


【宮尾の読後感】

 浮田さんがラジオ深夜便でも語られている、学校をまわって『きりん』を売り歩きながら子どもの魅力的な作品を探すことは「優れた美術の展覧会を見る」ような幸福だった、との感慨が理解される。見逃してならないのは、地に置いた作品の生命を削がずにタイトル文字をレイアウトしている浮田さんの仕事の確かさであろう。





第3巻第2号:1950(昭和25)年2月号


表紙絵:關伸二(小学生) 挿画:津高和一

とびら絵:荒井宏之(小学生)

特選詩数:9 詩数:58 綴方:2 



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図2.       (エディターズミュージアム所蔵)



           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図4.        (エディターズミュージアム所蔵) 



           図5.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図6.         (エディターズミュージアム所蔵)


                 

解説

図1.兵庫県甲南の小学校2年生男子の作品。全体に漂うシュールな感覚も去ることながら

   構図や省略やデフォルメの見事さ。赤と水色のフォントを置くレイアウトの妙。

図2.この号は、もくじのレイアウトに定型からはずれた実験性が感じられる。誌面中心を

   起点にテキストの塊を対称に置いており、『きりん』の題が二つあるのもユニーク。

図3.挿絵の津高和一(1911ー1995)の作品は、この春芦屋市立美術博物館で鑑賞する機会

   を得た。この半具象的な作風は、『きりん』のために子どもを意識したものか?

図4~5.日本古来の和歌や俳句を例に書き起こしながら、竹中独自の詩論が展開される。

   子どもの詩は、必ずしも大人のまねをする必要は無い、と説く。本気度が伝わる。

図6.記名入りの浮田さんによる「きりん通信」。「東日本きりん大会」という表現からは

   当時の編集部の意気込みも伝わって来る。浮田さんの若々しい文章も魅力的だ。



~内容の紹介~

 子どものために文章を書く作家や詩人のほかに、この号では山内リエという女性の文章も掲載されている。経歴紹介には日本女子走幅跳記録保持者・大阪毎日新聞社勤務とある。

 最近のようにジェンダーバランスが意識される時代ならともかく戦後間もない時期に女性の書き手を起用した編集部の意識の有り方にも関心を覚える。

 特選詩が9篇にのぼっていることにも、『きりん』の勢いが感じられる。



【宮尾の読後感】

 裏表紙の裏面に広告欄があり、上半分を使って『全日本児童詩集』いよいよ2月刊行、という広告が記載されている。『きりん』の編集と並行して行われていたこの詩集の内容についても、いつか詳細に研究してみたい。




第3巻第3号:1950(昭和25)年3月号


表紙絵:武田豊子(小学生) 挿画:小松益貴

とびら絵:武蔵野代四小学校4年生(無記名)

特選詩数:8 詩数:57 綴方:3 



           図1.       (エディターズミュージアム所蔵)



           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図3         (エディターズミュージアム所蔵)



           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図5.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図6.        (エディターズミュージアム所蔵)




解説

図1.豊中市の小学校3年生女子の作品。マティスばりの色彩感覚と精緻な構図が印象的な

   秀作。画面全体に溢れる純真な子どもならではの心性にも惹かれる。

図2~3.小松益貴(1904ー2002)の挿絵は縦長サイズの創刊号以来だが、初期『きりん』

   から保たれて来た品格の高さを想起させる。子どもの詩の世界を深く理解した仕事。

図4~5.私の母方にも、戦後少し経ってシベリアから帰還した叔父さんがいたと聞いた。

   私が聞いた光景とも直につながる描写。寸評にも同時代を生きる者の共感が溢れる。

図6.井上靖の作品『闘牛』が芥川賞を受賞したことを告げるきりん通信。左隣の奥付は、

   毎号おおむねこれと同様の内容記載である。



~内容の紹介~

 この号に初めて、京都市富有小学校の教員で図画と国語の指導で有名だった西田秀雄氏が登場する。「私の教室の子供たち」と題したコラムにはヒー公とけい坊の愛称で二名の生徒の学級での様子を綴っている。

 佐伯恒夫氏(大阪市立電気科学館天文部・火星研究家)による読み物の「望遠鏡物語」は科学者による啓蒙的な文章。

 竹中郁は「くつみがきの子ども」と題して自らの日常生活での経験を軸に物語を寄せた。


【宮尾の読後感】

 誌面から千葉県、鳥取県、熊本県と寄稿者が徐々に全国に広まりつつある様子が伺える。

 この年1950(昭和25)年には、昨年度まで放映された『ブギウギ』でも再度注目を集めた笠置シヅ子の『買物ブギ』が大流行した。3枚の表紙絵や子どもの作品を読みながら曲想を思い浮かべると、『きりん』が編集発行されていた時代の猥雑さを含んだ熱気のようなものが伝わって来るような気がする。



あとがき

 『きりん』に倣ったわけではないのだが、約5カ月のお休みをいただいてしまった。

 この間にも私自身の中で『きりん』にかかわる読書や情報入手は絶えることが無かった。それとともに、『きりん』に向かう心構えが定まった感がある。

 本年2024年は、浮田要三生誕100年を記念する年である。

 着実に研究を進める志を新たにしたい。

                             (2024年4月30日)

 

 謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.



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