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『きりん』を読む・9

 1950(昭和25)年の5月号、6月号を取り上げる。創刊から5カ月の休刊を経て、20号を超えて、ようやく編集体制も整ってきた印象がある。同時に、寄稿者(教師や生徒あるいは文学者)にも幅が出ており、今号では長野県からの作品が詳細に紹介されている。

 編集部によるあとがきの文面にも、敗戦から5年を迎えた当時の生活感情や世相を反映した表現が読み取れる。


 

第3巻第4号:1950(昭和25)年5月号


表紙絵:中井茂夫(小学生) 挿画:川西 英

とびら絵:志賀敬二(小学生)

特選詩数:6 詩数:51 綴方:今回は無し



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図5.        (エディターズミュージアム所蔵)




解説

図1.京都市立富有小学校6年男子による版画作品。西田秀雄による図画の指導は毎朝恒例

   のデッサンのみならず版画にも及んでいた。作品を活かすレイアウトの妙にも注目。

図2.もくじ背景にも、同学年男子の作品が置かれる。品格すら漂う版画を中心に誌面全体

   の調和がとれたレイアウト。坂本遼は学級の疎開先への遠足に取材した短編を寄稿。

図3.二人組のデュオ・かりきりんの代表曲のひとつとなった曲の原詩。1年生とは思えな

   い表現力。川俣英の挿絵の詩情も大変味わい深い。『きりん』の世界観の典型例。

図4.この後、しばしば誌面に登場する長野市鍋屋田小学校による初めての寄稿。四年梅組

   の甘利義男教諭は熱心に詩を教材とした。地方の昔話を生徒たちに取材させている。

図5.「『きりん』と二人の手紙」では、鍋屋田小児童と愛媛県の中曽根小児童の往復書簡

   が山本正格教諭により紹介される。同誌が全国に読者を増やしていた様子が窺える。




~内容の紹介~

解説でも触れたが、『きりん』の読者どうしが誌面上で往復書簡を公表するという素晴らしい記事には感銘を受けた。今でこそ、SNSによるコミュニケーションは当たり前であるが、戦後間もないこの時期に遠隔地の生徒どうしが手紙を交わし、それが読者に共有されるというのは教育的見地から見ても大変意義深い実践だった。そこには、編集者と現場の教員との熱い結びつきと信頼関係が前提として成立していたにちがいない。




【宮尾の読後感】

 「夕日」が誌面に現われた瞬間、胸中にかりきりんの歌声が響いていた。『きりん』から詩を借りることから命名されたこのデュオのお二人とそのきっかけを作られた京都・徳正寺住職の扉野良人氏の卓抜したセンスにあらためて敬意を表したい。ここに見られるような、子どもの詩と詩人の寸評と画家の挿絵との三位一体は、『きりん』の遺した最良の文化遺産であると信じて疑わない。この詩情を生み出したのは紛れもなく子どもの一編の詩である。


 



第3巻第4号:1950(昭和25)年6月号



表紙絵:辰見節子(小学生) 挿画:山崎隆夫

とびら絵:西村喜美子(小学生)

特選詩数:6 詩数:53 綴方:1



           図1.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図2.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図3.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図4.        (エディターズミュージアム所蔵)



           図5.        (エディターズミュージアム所蔵)



解説

図1.前号に続き、吹田市内の小学6年生女子の版画作品が表紙を飾る。本誌と同じ時期に

   全国的に展開された「教育版画運動」との関係性も興味深く、今後研究が待たれる。

図2.表紙裏全面に『全日本児童詩集』『春を待つ心』二冊の販売広告が掲載されている。

   「きりん出版だより」との文言には、尾崎書房の出版への旺盛な意欲が見られる。

図3.「母の道」は小学5年男子の詩だが、明瞭な生活感情が簡潔に表現され、竹中の評に

   深い共感が読める。山崎の鋭い挿絵に合せたフォントの青字にセンスが光っている。

図4.詩壇の重鎮小野十三郎が朝日新聞誌上で山口雅代さんの作品を紹介した記事の転載。

   子どもが捉えた戦争の実態を米国『ライフ』誌に掲載されるべき、と絶賛している。

図5.詩作品を「一つ一つい一しょうけんめいみがかれたみなさんのこころのちんれつ」と

   意味づけた編集者によるあとがき。書き手は尾崎氏か、星さんか、浮田さんか?




~内容の紹介~

「戦争で真っ黒くよごれた日本の国を国民そろって美しい平和の色にぬりかえはじめてから五年になります。学校では色々なせつびもおいおいにととのい、それにしたがって皆さんの心がまえも日に日にしっかりとおちついて来たと思います。平和の国日本を本当にうちたてて下さるのはとりもなおさず今の小学生の皆さんなのです。私達はそう思って皆さんにどれ程かおおきな期待をもっていることでしょう。」

 このあとがきの一節に、23冊目を無事に発行した編集部の安堵と誠意が籠っている。




【宮尾の読後感】

 1950年という年が、市井を生きる子どもと大人にとってどんな時間だったのか?この答えがNHKの朝の連続ドラマにも現れている。あとがきの言葉を繰り返して味わうと、多くの子どもたちの作品の輪郭が一層くっきりと見えて来る。

 現在という時代にこそ、『きりん』が読まれなければならない、との思いを強くする。

 


あとがき

 私はこれまで『きりん』について何気なく「敗戦直後の日本で」との言葉を使って来た。つい最近、堀田善衛(1918ー1998)の原作による舞台『若き日の詩人たちの肖像』を上田市で鑑賞し、『きりん』前夜のイメージを持つことが出来た。「戦後」の前に、「戦前」と「戦中」が間違いなく存在したのである。詩や綴方や絵を寄せた子どもたち、大人たちは、これらの時間を共有した者どうし「生き延びた者」としての当事者性を言外に共有していたの違いない。『きりん』に散見される「戦争に取材した作品」の背景に、どれだけ想像力を働かせることが出来るか。ウクライナ、パレスチナの悲惨な現状を想起するにつけ、私の内に「焼け跡の『きりん』」というタイトルが沸き立つのを禁じ得ない。

                             (2024年5月31日)


謝辞:「『きりん』を読む」連載に当り、長野県上田市のエディターズミュージアムによるご配慮に、心から感謝いたします。  ⇒Editor'sMuseum (editorsmuseum.com)



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