展覧会の記念リーフレットに、浮田さんが2008年の12月にNHKラジオ第一放送の『ラジオ深夜便』で語られた「世界で一番美しい雑誌を」を文字に起こして掲載しました。
「浮田要三と『きりん』の世界」展記念リーフレット8ページ
今回の展覧会が実現するそもそものきっかけとなった『きりんの絵本』の出版が、同じ年の7月でしたから、50分の番組の中でも、浮田さんはこの一冊が出版されたことの経緯と意義について、実に感慨深く語っておられます。
今回の展覧会は、浮田要三の画業を辿る回顧展であるのみならず、浮田要三と『きりん』が【一如である】ことを顕した『場』である、と私は考えています。
私は、ここ数日のあいだ、『浮田要三の仕事』と『きりんの絵本』を再読し、あらためてこの思いを強くしました。
『きりんの絵本』(2008年)
『きりんの絵本』では、1948年の創刊号から最後に大阪で発行された1962年6月号までの全166冊を、ページを繰りながら回覧することができます。
そして、今回の「浮田要三と『きりん』の世界」展では、そのすべてを、あたかも年表のごとくに見渡すことができるのです。
心を鎮めて想えば、これこそ正しく『世界で一番美しい年表』ではありませんか。
『世界で一番美しい年表』(第一展示室最奥壁面)
たとえば、この年表から、1955(昭和30年)という年にどんな出来事があったかを調べてみますと、次のようなことがわかります。
1月 機関誌『具体』第1号が発行される
4月 『きりん』に機関誌『具体』の広告が掲載される
6月 『きりん』の表紙絵に田中敦子の「数字をモチーフとした作品」が掲載される
8月 浮田要三が『具体美術協会』に参加する
10月 『きりん』の表紙絵に金原美智子(「じゃがいも」の詩の作者)の独創的な作品が
掲載される
12月 13~18日大阪市立美術館で「子どものモダンアートによる きりん展」が開催
される
ここに挙げただけでも、この1年が大変な出来事の目白押しだったことがわかります。
『きりんの絵本』から、この時期について浮田さんが回想して記された文章を引きます。
さて、表紙絵をはじめ『きりん』に掲載された絵を最も力強く支えて下さったのは、何といっても吉原さんが主宰された具体美術協会のメンバーたちでした。彼らの尽力で1955年12月に大阪市立美術館において「きりん展」が催されました。彼らの教えていた子どもたちの作品がもち寄られたのですが、内容は、それこそアメリカ、ヨーロッパのどこに飾ってもらっても充分賞賛されるものでありました。吉原さんは、いみじくも言われました。「こんなすばらしい展覧会は、もう二度とできないなあ」と。その展覧会のすばらしいことも、やはり携わっている大人たちが、自分の仕事と同じ次元で子どもたちと取り組んでいただいた結果として、できあがったものでした。そんな風に考えますと、「きりん」展は実質は子どもの作品展というよりも、具体美術協会の錚々たる作家の展覧会であったともいえるようです。直接、手を下すことはしませんでしたが、あるいは、それ以上ともいえる熱い息吹が子どもたちに吹きかけられて、その制作の姿勢と気持ちの燃焼が、感性を通じて、その魂が子どもたちに移行されたと、幾度思い返しても同じことが網膜に焼き付いております。
(『きりんの絵本』「きりんの話」16ページより)
お正月に発行された具体美術協会の機関誌『具体』第一号は、嶋本昭三氏が浮田さんから譲り受けた活版印刷機で自分たちの手で印刷したものでした。第二号以降、印刷業者に外注しての発行に換わったことから、装丁の風合いが全く異なります。
そして、同じ年の瀬に開かれた「きりん」展は浮田さんをして、「『きりん』の絶頂期」と言わしめた、歴史的な出来事だったと言わねばなりません。
今回の展覧会では、第三展示室最後のガラスケースに『浮田要三の仕事』に見開きで紹介されたカラー写真による「きりん展」当日の風景を展示してあります。
「浮田要三と『きりん』の世界」展記念リーフレット28ページ
この年表が展示室の壁面を飾っている内に、その前で「浮田要三と『きりん』の世界」の歴史を物語る時間を創らなければならない、と密かに考え始めているところです。
(2022年10月26日)
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