『具体』に触れる。

 9月に開催予定の「浮田要三と『きりん』の世界」展の準備を進めている。

 今回、ずっと気になりながら目にすることの出来なかった『具体』※(2010年復刻版)のテクストに触れる機会を得た。そこには、有名な『具體美術宣言』(1956年発行『藝術新潮』第7巻第12号所載)の全文が転載されている。

 

  具體美術は物質を變貌しない。具體美術は物質に生命を與えるものだ。具體美術は

 物質を僞らない。

  具體美術に於ては人間精神と物質とが對立したまゝ、握手している。物質は精神に

 同化しない。精神は物質を従屬させない。物質は物質のまゝでその特質を露呈したと

 き物語りをはじめ、絶叫さえする。物質を生かし切ることは精神を生かす方法だ。精

 神を高めることは物質を高き精神の場に導き入れることだ。


 これは、読んだだけで理解できる文章ではない。ただ、理解はできなくても、ここに何か大切なヒントが書かれている、という感触だけはずっと頭の中に残っていた。

 大阪梅田の出版社尾崎書房の社員だった浮田要三が井上靖の遣いで吉原治良の自宅に児童詩誌『きりん』の表紙絵となる作品を受け取りに行ったのは、吉原によるこの『宣言』に遡ること8年ほど前のことだ。当時、吉原は43歳、浮田さんは24歳だった。『具体』誌、特にはじめの数号からは、両者の分ち合った理念の純粋さを感じ取ることができる。

 ところで私もまた『具体』という命名の意味が腑に落ちないままこの言葉に触れて来た。

あまりに日常的な言葉であるため、返って吉原がそこに籠めた意味が読み取れなかった。

 それが今回、『具体』を翻訳したEmbodimentという英語が活字になっているのに触れた瞬間、目から鱗が取れるように、GUTAIの意味が立ち昇って来た。

 話がそれるようだが、私はこのEmbodimentの意味について、数年来考え続けてきた。

 数年前、フィンランドで生まれた対話による精神療法『オープンダイアローグ』の発案者ヤーコ・セイックラによる英文著作の読書会に参加したことがある。そこで、embodiedという同語の形容詞形が頻出し、この単語が彼の思想を理解する鍵になると直感しながらも、適切なその訳語が思い付かないまま過ごして来たのだ。

 Embodimentとは『体(からだ)を具えるコト』ないしは『体(からだ)を具えたモノ』を指すのではないか?ここで「体」とは、「内容」を包み込む「形式」を示すのだが。

 私は、『具体』の「具」に「具(そな)える」という訓読みのあることを、今さらながらに思い出した。そして、同じ「具える」に、二つの意味合いのあることをも。

 それは、ちょうど「自ら」という日本語に「みずから」と「おのずから」の二つの意味があるのと似ている。意識的にそうすることと、生まれながらにそうあることの違いである。

 こう解釈すれば、前述のembodiedという形容詞を「体(からだ)を具(そな)えた」と訳すことができよう。

 このように単語の意味をとらえた上で、もう一度吉原の宣言を読んでみたい。彼は、当時フランスなどで興っていたアンフォルメル※の潮流と自らが唱えた具体美術との共通点に触れて、こう書いている。


  既成的な形にとらわれず今生まれ出て來たばかりのういういしい發現を要求する點

 など表現は相異しても生々しいものを要求していたわれわれの主張と不思議な一致に

 驚かされるところがあつた。


 私はこの箇所を読んで、即座に1948年以来『きりん』の表紙絵に子どもたちの描いた作品を選び続けていた浮田さんの仕事を思い出した。

 浮田さんは、何よりも『ウソのない気持ち』を大切にされた。だとするならば、浮田さんにとって子どもたちの作品は『体(からだ)を具(そな)えたウソのない気持ち』の原基となっていたのにちがいない。ここにこそ、『具体』の作家浮田要三の初心もあった。


                              (2022年5月2日) 


※具体美術協会の機関誌で、浮田さんがその印刷に大きく貢献された。海外に向けて英文も収録されている。吉原以外には、例外的に浮田さんの論文のみが、二本英訳されている。

※1940~50年代、フランスを中心に興った抽象絵画の表現形式。当時アメリカで興ったアクション・ペインティングとも相関性を持つ。のちに『具体』とも深くかかわった。

      浮田要三の書架に大切に保管されていた復刻版『具体』のケース

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