昼前、喜多ギャラリーの洋子さんと電話でお話した後、今日もエディターズミュージアムにお邪魔して『きりん』を精読する作業をした。前回に続き第3巻第6号から読み始める。
メモを取ったり、写真を撮ったりしながら読み進め、2冊目の第3巻第7号を開く。
奥付によれば、昭和25年の6月25日に印刷、7月1日に発刊されている。
表紙絵から、ため息をついてしまった。京都市立富有小学校2年生の作品。さすがは西田秀雄の指導により数多くの詩や作文や絵画が『きりん』に選出された学校である。
(エディターズミュージアム所蔵)
1ページずつ、丁寧に辿りながら読み進める。
特選詩の5作目に、山口雅代さんの「おこづかい」が選ばれているのを読む。
(エディターズミュージアム所蔵)
おこづかい
わたしのおこづかいでかった
あめ
うちへかえって
みんなとたべた
あまくて おいしい
みんな うれしそうにたべた
わたしは
すうっとした いいきもちになった
だれかにおれいをいいたいな
えんがわにでて
かみさまに おててをあわした
かあちゃんが「なにをしてるの」といった
「てまりをもっているのよ」と
いっておいた
だいぶせつめいのことばがくどいので、もすこしはぶくところははぶいてほしかったのだが、さいごの六行のけんそんなこころと、なにげなくあどけなくお母さんに返事をしたところがかわいいので美しくなりました。
竹中郁の詩を寄せる子どもへの心理的な近さは、『きりん』を一冊一冊読み続けているとしばしば感じられるが、雅代さんの詩への傾倒ぶりは少し他と違う気がする。
そんな感想を抱きながら読み進め、13ページを開いて驚いた。
(エディターズミュージアム所蔵)
ありとりぼん
土の上に
ローセキでお人ぎょかいた
毛もしろ
ふくもしろ
白い目で
青い空をみてる
白いリボンをつけてやると
ありが
リボンをとりにきた
手でかくすと
ありはよけてとおった。
かわいい詩です。山口さんはいろいろな詩をかきますが、いつもあたたかいこころや目で、ものをかんじていることがよくわかる。
同じ月の『きりん』に、特選詩以外で別の作品が選ばれた子どもが他にもいたのか?は、これから精読作業を通じて明らかになるだろう。少なくとも創刊号からここまでのところ、私の記憶ではそのような例は無かった。
ちなみに、直前の6月号に載った連載「詩の學習」の中で竹中はこう書いている——
詩は生れるものであって、こしらえるものではないのです。
直截に彼の「詩論」が披瀝されているが、この言葉を踏まえてもう一度雅代さんの作品を味わうと、評者の意図がよく理解できる。詩人・竹中郁をして唸らしめる「作為を離れた」生まれたての詩を、この少女は発表し続けていたのにちがいない。
今回新版が再刊された雅代さんの詩集『ありとリボン』は、彼女の小学校卒業を記念して母親がガリ版刷りで発行したものを竹中郁が初山滋に装丁を依頼して東京の出版社からあらためて出版したという特別な書物である。
先に述べた通り、この「ありとリボン」が『きりん』に掲載されたのは、雅代さんが小学2年生の時のことだ。竹中がその4年後に、彼女の小学校時代を総括する詩集のタイトルにこの『ありとリボン』を選んだのも、ごく自然なことだったように思われる。
浮田さんによれば『きりん』と命名したのも竹中だった。尾崎書房の社屋で紙切れに字を書いて、「きりん、きりん、きりん…何度聞いても飽きひん音や!」と楽しそうに笑った。
晩年に病を得て足立巻一にその任を託すまで、長年にわたり『きりん』で詩の選評を務め続けた竹中郁の功績は、未だ充分には認められていない。山口雅代(美年子)さんは、その最後の証言者として、古くて新しい詩集を世に問われた。
(2023年8月25日)
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