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執筆者の写真西 幸代

ぷれジョブ🄬ってなんですか

ぷれジョブに2つの意味を込めて2003年に創り出しました。間違えて使う人が多いので2009年1月に商標登録して、間違えないよう工夫し続けています。法人化してからは、1年に1度程度の勉強会を開いて繰り返し繰り返し学びながら使用いただいています。


「ぶれ」易いのが特徴のひとつです。



1つ目は「PRE  事前に(接頭辞)」 小5くらいからお家と学校とサービス機関だけの、ドアTOドア暮らしでなく、どんどん地域の知り合いを増やす努力をしてくださいね、仲良しにならなくてもいいので、顔を知ってるよという人が増えればいい活動です。


2つ目は「PURE  純粋な(形容詞)」だれかの希望を代わりに生きるのではなく、子どもも大人も、その人本来の存在の仕事があるとおもいますので、その力を発揮してください、という意味です。ただ、1時間くらい、一緒にいることでOKです。



下の図全体をぷれジョブ🄬と言います。親の知らない子供の顔がどんどん増えます。

「しごと」と書いているところだけ一部を取り出し「子供が働くこと」だけ取り上げるのは間違いです。




 子どもをおとなの縮小版で足りない存在だと考えたのは、中世の考えです。子どもは子どものままで、子供時代のままで、かけがえのない時間です。

 ですから、子供を小さいときから社会適応するよう、親が同級生との比較からなおそうとしたり、周りの大人が就労をちらつかせて修正したりしません。でもこうしたら、とおとながどうしても提案をしたくなる時はしてください。関係構築の時間ですから我慢は双方不自然です。


 こどもには、生まれて、そだつ地域全体、そのまま、ひろい遊び場を、いろんな人を、と思います。そのしかけです。


 人を枠にはめる仕事にしてきた大人が子供の場を借りて、障害のある子どもと接触経験をすることは、自由な発想や新しい視点をもらう体験にもなるのはよくあるけど、それ自体も目的ではありません。


 人間はせいちょうとともに「差別や偏見」を知らず知らず学んでしまいます。それをまとわずに大きくなる人も時におられます。浮田要三さんは差別からもともと遠いと思いますけど、多くの人は、差別意識を点検しても、ぬぐってもぬぐっても、不安を起こさせ競争に消費させる社会の勢いに流されて、優越感が混じる「差別」に向かってしまいます。


それで、週1時間くらい、暮らしの中にある働く場を借りて、おとなも自己点検、振り返り、大丈夫だね!と差別偏見から最も自由な子どもと対等に過ごす時間をPUREJOBと名付けてみたのです。






平等な社会を求めるといいながら、差別や排除をしてしまう人間の心があります。母集団が安全に保たれるため、異物を排除して同質で理解できる範囲の人間で固まって生きるのが日本の「ムラ社会」でした。いまもなおその排除文化は根強いと思います。



排除されたものの中でまた序列化が起きますので、人間とは本当に「かなしみの塊」だと思います。



残された小さな母集団の中で、競争しあい、どこまでいってもマウントしあい支配しあう、安心のない世界、「個人」の意見を出すことは叶わず、同調圧力が強化されます。「かなしみの塊」です。


ちいさな人々の集団が完全に序列化されている。一度固定されたら、変更が効かない。障碍者団体の中で序列化し、権力争いと利益配分を奪い合うようになり、暮らすはずの大きな母集団とは自ら離れていきます。無意識の分離加担はとてもかなしいことです。


 初めて教師になった真鍋島は、生まれたときから序列化されている社会でしたが、高校が島にないので中学卒業とともに、全員学力をつけておのおの別の高校へ出て、親から離れて一人になる暮らしをしました。広く視野を持つことや智慧をつけるための学びや遊びや一人で居ることが当たり前という真鍋島の文化はその後、私がぷれジョブを作るときのヒントになっています。


島から出て街にでても、人間は優勝劣敗、負けたくない、他者に勝ちたい「かなしみの塊」です。人よりも自分がよいポジションを取りたい欲望があります。また、序列を作ることで支配して国家を維持するしくみや、個人の意見が尊重されない組織や忖度で動く学校文化も日本には相変わらずおおいままです。


かつて今に似た混乱の世、末法の世のことをちょっと書いてみます。権力者や金持ちしか救われないのではなく、あらゆるひとが救われる方法を考えた人が現れたのでした。法然上人。法然親鸞と作られた本願念仏は支配のない社会、平等な社会を作ろうとしたところから生まれた宗教・思想でした。(ちなみに法然は岡山美作で生まれた幼名は勢至丸でした)



とうことで、平等を求めると、分断支配で進めたい権力と逆向きなるわけです。

下の説明はNHK「こころの時代」に出演された阿満利麿さんのお話をまとめています。





ちいさい活動ですが、ぷれジョブ🄬も、平等な社会を作りたい願いの場所にあるので、みんなと同じ暮らしの位置、社会で起きている事象に関心を持つ人々とともにあるわけです。

流れと逆なことを真正面に考え続けることは苦しくできないので、ただ1時間だけ、ここからかなという工夫になったわけです。



緑のような、浮田要三さんのような、生まれて差別偏見のないPUREジョブな人はあまりいないかもしれません。

赤色の道を渡らないといけない多くの人の道は、本当に狭く険しいと思います。お疲れ様です。「障害のある人を弱い、かわいそうな人=同情」から、「対等になる」のは大変なことです。それが変わるには、それなりの、お一人お一人の機縁があるのだろうと思います。


赤色の細い道に、「おひとりおひとりのPUREJOBに」なれたらいいなといつも思っています。


最後に、先週日曜日のNHK「こころの時代」で阿満先生にNHKのインタビュアーが質問したことへの返信をお示しして終わります。




ぷれジョブ🄬は宗教ではありません。

平等な社会に寄与して、平等な社会のなかで、遊びたいと思う活動です。

自分を生きるというとても難しいわざを、子どもは難なくやっているので、


あそびましょう(良寛さん)

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