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執筆者の写真西 幸代

また相模原市が…。

津久井やまゆり園がある相模原市で、またもや障碍者に対する事件が明るみとなった。

相模原障害者施設・津久井やまゆり園と言えば、2020東京パラリンピックでの採火式を計画して、被害者家族及び多くの障害者団体から採火式の中止の抗議を受け、渋々「賛同してくれている方々もいるが、反対される側の事を考慮して中止する」と言った、あの相模原市である。この時は物事の本質を考えようとしない姿勢に呆れたものである。


その相模原市。今度は障害児の就学先についての事前の約束をほごにしたというのだ。

事の起こりは3年前。医療的ケア児の人工呼吸器ユーザーである佐野涼将くんが、就学前診断の就学相談で、生まれ育った地域校区である星が丘小学校「普通学級」を希望したところ、星が丘小学校になれる1年間、学籍は中央支援学校に置き交流授業としていきましょうという話になり、1年生の様々な学校行事や授業、登下校まで交流の場と生かして来たのだという。そして翌年の3学期には星が丘小学校「普通学級」の2年1組に在籍する事やクラスの担任になる予定の教師も学校から紹介されていた矢先、相模原市教育委員会から「星が丘小学校への転校(転籍)は認めない。交流授業でならば認めても良い」と就学相談の約束を反故にした。行政のやることとはいえ、まるで上目線のお上の通達である。


それから1年と1学期、佐野涼将くんのことは放置され、しびれを切らした支援団体が神奈川県教育委員会と交渉し、神奈川県教育委員会も佐野涼将くん側の事を理解してくれるが、頑として相模原市教育委員会は認めようとしない。


私がこの事を知ったのは全国青い芝の会の役員会の場で、すぐさま佐野涼将くんを2学期から星が丘小学校「普通学級」に転籍させるよう要請書を作った。


相模原市と言えば、5年前に起きた相模原障害者施設津久井やまゆり園殺傷事件を思い出す。あの冷酷で残忍な植松聖の犯行が「意思を持たないに人間はいらない」とした優生思想そのものが根底にある事件である、その凶行がまだ風化してないはずであるが、相模原市教育委員会の見解では「やまゆり園事件と今回の問題は全く別物である」と言い切った。


確かにやまゆり園事件と今回の佐野涼将くんの問題では、概要も背景も違う。それは当たり前として、そこに見える問題の根っこは同じでないだろうか?


「やまゆり園事件」は重複障害を生きる価値がないとして排除していった。それは植松聖独自の価値基準に他ならない、一方、野涼将くんの問題では生まれ育った地域の小学校から教育委員会の判断(価値基準)で排除されている。この2つの事件・問題は明らかに障害者差別であり、本人の意思は何も反映されていない。


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