
奈良県の喜多ギャラリーで開催中の『ありとリボン』出版記念+アトリエUKITA展初日に伺ってから、もうじき1週間になろうとしている。
虚飾を離れた手作りのオープニングは、人間浮田要三に出会った人たちが自然と集まり、展示作業から夕刻の閉廊までの時間が絶え間の無いひとつのつながりだった。
そこに流れる時間について、今こうして反芻してみると、あるいはこれがアトリエUKITAの時間だったのかも知れない、と気づく。
会期直前、小﨑唯さんからお電話があった。アトリエの仲間たちから今回の展覧会に出展する作品がすべて集まったこと、一人ひとりが自分らしい生活を続けていることを、嬉しくも頼もしくも感じる、と感慨深く話された。
展示室には、再刊された山口雅代さんの『ありとリボン』と、亡き息子さんの遺作が展示された壁面の傍らに浮田さんの作品が3点。そこから円を描くようにアトリエ仲間の作品が配されている。壁面に飾られた大小さまざまな作品のあいだにまったく境目の無い景色が、今こうして想い出していても眼に浮かんで来る。

(喜多ギャラリー提供)

(喜多ギャラリー提供)
私が大きな影響を受けたドミニコ会の押田成人神父が使う「円居(まどい)」という独特のことばは、きっとこの時間と空間の一体性を意味するのだ、と腑に落ちる。
作品を出展した仲間の中には、オープン前の展示に立ち会ってすぐに帰った彼もいるし、今日は止めて別日に現在世話になっている人たちと一緒に来る予定の彼もいるし、病院から出て来れない彼女もいる。それぞれがそれぞれで、誰ひとりそれをとがめない。
この部屋には、美術の歴史からも福祉の歴史からも離れた、人と人のつながりそのものが成立していた。そして、このような場を、私たちの生きる社会は喪って久しい。
直接アトリエに通った経験のない私でも、こうしてアトリエUKITAの仲間に入れてもらうことができる。なんというふくよかさ、おおらかさだろうか。
私は、浜田百合子さんのご紹介ではじめて中島久美子さんにお会いした。彼女の写真集『アトリエUKITA』の生まれた経緯をお聴きすることもできた。この写真集については昨年の内に唯さんから教えていただきながら、私はじっくりと向き合う機会を持たずにいた。

中島久美子写真集『アトリエUKITA』(2014)
思い思いに浮田さんについて語らう参加者に囲まれ、写真撮影時のエピソードを拝聴していると、私自身がたった一度だけアトリエをお訪ねした時のことが思い出された。
彼女もまた、生前の浮田さんには一度しかお会いしたことがないとのこと。
奈良から戻って、あらためて写真集『アトリエUKITA』を開いた。瞬間、私の中に時間をかけて醸されたアトリエUKITAの濃密な空気が流れ始めた。
浮田さんに出会い大切な何かを受け取った何人もの語りが、私の内側に充ち溢れて来た。喜多ギャラリーでの半日に写真集が作られた時間が結び合わされ、飽和したようだ。
「具体美術に於いては人間精神と物質とが対立したまま、握手している」。
吉原治良『具体美術宣言』より
浮田さんはアトリエUKITAというこの世に唯一無二の場を創り、若き日に師から示された理想を具現された。私たちの内でそれが今も生きて働くことを、この展覧会は証している。
(2023年8月31日)
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