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アトリエUKITAに流れる「時間」


京谷裕彰様


 白く雪化粧していた浅間山も、日を追うごとにその山肌を露わにし始めています。

 正月には、思いがけなく極楽寺のポエトリーリーディングの会でお会いして、浮田さんのお話ができたのも楽しい思い出となりました。それにしても、扉野良人さんや井上良子さんのような浮田さんを敬愛する方々とお会いする度に、私の未だ知らない浮田要三が現れて来るようで、私の旅もまだまだこれからなのだ、という気がしております。

 京谷さんとのご縁も、考えてみれば不思議なものですね。大阪今里のアトリエUKITAが閉じられる直前に京谷さんが撮影されたスナップを、私が偶然ネットから見つけたのがきっかけでした。この一枚は、後に「浮田要三と『きりん』の世界」展を記念して発行したリーフレットに転載させていただきました。

 そこに写された風景は今では喪われた浮田要三の仕事場の哲理に充ちて和やかな唯一無二の空気を伝えて余りなく、やはりまごうかたなき詩人の手に成る一枚です。

 今回、こうしてお手紙を認めている私の眼前には、京谷さんによるもう一枚の写真があります。展覧会の会期中に、移転されたばかりのLADSギャラリーをご案内いただいた際に教えてくださった、あの印象的なピンク地に黒を置いたタブローの前に立つ浮田さんのお姿が写された、これもまた忘れがたい一枚です。

 それは、アトリエの奥側から入口に向けられた貴重なアングルにより、逆光のため薄暗い画面がむしろ効果をもたらしているような写真です。ちょうど、1枚目の写真と対を成すかのような内容を持っており、「浮田要三と『きりん』の世界」を探ろうとする私のような者にとっては、羅針盤のように行く手を導く、またとない貴重な資料なのです。

 写真の中の浮田さんはあのチェックの帽子を被り、あのボーダーのラガーシャツを着て、ビニール製のカーテンを透して差し込む陽光を背に立って、携帯電話で話しておられます。画面左側には、コンパネ板にさり気なく掲げられた浮田さんと仲間たちのタブローが見え、右奥天井付近には、いつか綾子夫人からもお聞きした初期の巨大な「帽子」状の作品が宙に浮いているかのようです。柱時計の針は概ね午後三時を指しています。

 大きな仕事机の代わりに置かれた卓球台の上には、とこせましとキャンバスや油絵具やニスなどの画材が並べられており、電話を終えた浮田さんの手がそこに延びる気配すらも感じられるようです。ありし日の、アトリエUKITAの日常がここにあります。

 私は、今回の展覧会を企画・開催する過程で、何人もの方からこのアトリエに流れていたかけがえのない「時間」についてお聴きすることができました。

 この、一見何の変哲もない部屋で、かつて生きられた『自分の時間』や、そこで問われていた『人間とは何か?』との問いがどれほど大切な意味を持っているかについて、私は少しずつ自分の言葉で記してゆこうと思います。京谷さんには、時折お手紙を差し上げますのでどうぞよろしくお願いいたします。


                          2023年2月14日 宮尾 彰




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