介護をを受ける中で…。

私は現在、月744時間。一日24時間介護を受けている。今でこそ、当事者団体の事務もこなして

私なりに一日一日をエンジョイしている。しかし今から11年前、広島に移り住んだ時点では、自分の身体状況もあり、障害者福祉制度は全く使えていなかったのである。何故、今のように介護制度を使えたり、障害者制度を使える事になったのか?記憶を振り返って話してみたい。


私が広島に引っ越してきたのは今から11年前。当時、通っていた定時制高校の卒業を前にして、希望していた障害者職業訓練学校が不合格という通知があって「どうしようかな?」と悩んでいた時、広島に住む友人の障害者から「もう一人で頑張ったんだから、この先は広島で介護を受けながら暮らせばいいよ」を頼りに転居を決めたのである。


この時の友人の言葉が現在の私に繋がっている事は幸せである。とはいえ、それまで本格的な介護を受けた事がなかった私には「訪問介護」というサービスが、いかに利用者にとって大切か?解っていなかったと思う。

介護を受け始めた当初は正直に言うと介護者との距離感が解らなくて、無駄に外出ばかりしていた。無論、利用者によって受け止め方が違うが私の場合は、どう付き合っていけばいいか解らず、その場の勢いで介護者と接していたと思う。


私が山口にいた頃、青い芝の会の本当の理屈の知らないで粋がっていた時、今思えば恥ずかしくて赤面してしまうのだけど、理屈にならない理屈を介護者に強要して困らしていた。もっとも介護制度がない時代だから、時運で「介護ビラ」を作り、それを何枚も印刷して大学生に配っていた。興味を持ってくれた大学生を自分の介護者にするためにいろんなことを話すのだが、当時は他人から聞いた受け売りの言葉でしか話せなかった。その結果、誰も長続きはしなかったのである。


それもそのはず、今から思えば当時の私は、何でもかんでも感情論ばかりで、障害者差別と向き合おうとせず、介護者を育てようという気持ちも空回りしていた。現在との決定的な違いは介護者との立ち位置であり、悩み続け考え抜いた根拠があるか?ないか?である。


この11年間の間、脳性マヒ者ゆえに二次障害で身体状況も重度化し、地域行政と喧々諤々(けんけんがくがく)と揉めながら、介護時間を増やす中で、介護者一人一人と向き合い、かつてのような失敗を繰り返さないように、新しい関係づくりを始めている。


それは介護者一人一人が私の生きる上での仲間であるという事だ。利用者と介護者は友達では決してない。そこは介護者に賃金が発生する以上譲ることは出来ない。しかし友達以上にきずなが深まる関係性を持つのは仲間という関係性である。


施設では味わう事が出来ない醍醐味を持つのが自立生活だ。一人ほとり違った個性を持つ介護者。その介護者たちと人間関係がはまった瞬間が何よりも大事な瞬間である。この介護者たちと今からどんなドラマが出てくるかわくわくが止まらない。

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