障害のある人への偏見や差別はおつきあいする機会が少ないから。
ならば、お付き合いする場をうまくつくれば、ともに暮らせるんじゃないかな、せっかく地域に出ていこうとする障害のある人の住むグループホーム反対なんてかなしい運動がおきないんじゃないかな、という素朴な投げかけから、ぷれジョブ🄬は2003年スタートしました。
近年、ますますおつきあいする機会が少なくなっているから、地域の中で過ごす時間をうまく暮らしに入れていく必要性は増している感じ。
ぷれジョブ🄬
つくろ!あそぼう!
子どもと大人が対等にコミュニケーションできる場をつくろう。
ということであらためて、ぷれジョブ🄬の子ども観と注意点をお伝えしようと思います。

おとなだって昔はみんな子どもだったのだから。とサンテクジュペリは『星の王子様』で書いています。その子ども時代に十全に「子ども」をせずに大人になってしまうかなしみが今日的な課題の多くの底にあるように思います。
ぷれジョブ🄬20年の中で起きたこともまた文明の中に置かれていることだなあと思います。
たとえば、ぷれジョブ🄬といいながら、一般就労や障害者就労に届きそうな子どもしか活動の対象者にしない。重度の子どもを排除する。子どもを足りない不完全な存在として扱う。将来お金を稼げるようになるかどうかが基準、子どもの頃から「にんげん」をお金に換算し「子どもの今」を品定めしトレーニングし肥育する。
怖いなあと思います、子どもという存在は、おとなの未熟型でなく、そのままで完全な存在。健全な社会を形づくろうとするとき、もっともっと積極的な意味を持つ存在。
ぷれジョブ🄬の子ども観は、障害のある子どもを施設などで療育する「予防」でもなく、就労に向けた訓練のための「準備」でもなく、おとなもこどももわけへだてなく参加できる「あそび」の場の主役、おとなといっしょに創る、そのための商標登録です。
世間の風潮にながされずに
障害のある子どもは隔離するのではなく、むしろ積極的に「暮らす地域を小さく変える存在(灯)」として位置付けられるよう願いを込めています。
子どもの脆弱性こそたいせつ、共同体を平和的に再構築する力です。
子どもの「はたらく傍楽」はおかしくやわらく、ちょっとおせっかいになりたい気持ちを誘う、巻き込む。おとなはみんなで環境調整・舞台設定できる楽しみをもらいます。
生産性で人を測る価値観をとにかく1時間、とりあえず1時間、保留してみる試み。
障害のある子どもは世界をどうみているのか、から創り直す小さな試み。
子どもの声を聴く1時間。
だれにでもできる1時間。
ロシアの教育学者であり哲学者チェコフスキーさんの著書「2歳から5歳まで」の巻頭にオマージュとして寄せた編集者小宮山量平さんの文章を載せます。


↑ぷれジョブ🄬の子どもたちの1時間にわくわくするおとなをふやしたいなあと思います。
あちこちたくさん、ちいさくおおきなPUREJOB、ありがとうございます!
↓児童詩誌この時代のおとなたちは相当楽しかったらしいです。詩と絵と、全国から毎月集まることにわくわくした時代だったようです。これも追加でご紹介します。

*子どもの楽天的平和的創造的なそのままをすくいげた児童詩誌「きりん」から学べます。法人はこれを事業3に入れています。
哲学者鶴見俊輔さんは「きりんは日本の地下水だ」と言いました。
一度学んだことを棄て作り直すアンラーニング。これも鶴見さんの言葉です。
生産性が無いとなれば、子どももおとなも社会から隔離されるのではなく、「ひとにものを考えさせる子どものジョブ」がおとなの心に種を蒔く社会にする、ぷれジョブ🄬がその一助になればと思います。

コメント