ぷれジョブ🄬ではたびたび「あいだ」ということばでご紹介します。
ぷ絵ジョブ🄬は「あいだ」を取り戻す・作り直す活動と言ってもいいかなと思います。
「あいだ」の第一人者、木村敏さん、ありがとうございました。
よい灯をもらってつなぎます。
2012.12.30 ぼくは、らいねんがすきや
12月16日(日)東京大学 第12回河合臨床哲学シンポジウム 「臨床哲学とは何か」に参加。木村敏さんと鷲田清一さんのはなしを生で聞くことが大事だった。すべてが確認できた。いただいた封筒の中に「わたしが選んだこの一冊」という河合文化教育研究所からの推薦図書が入っていた。
17ページ 倉田修さんが推薦する本 「つづり方兄弟」 野上丹治・洋子・房雄著
台湾から敗戦の日本へ命からがら引き上げてきた一家は大阪枚方市香里の廃業した火薬工場跡の町に暮らしている。戦前の豊かな生活は一変し、窮乏を極め、その苦闘は子どもたちにも及ぶが、小学校で作文や詩作の楽しみを知り、その折々の日常を書き記した。たとえば、末弟の「ふうちゃん」こと丹野房雄の詩は次のようなものであった。
お正月には
むこうのおみせのまえへキャラメルのからばこ
ひろいに行く
香里の町へ
えいがのかんばんを見に行く
うらの山へうさぎの
わなかけに行く
たこもないけど たこはいらん
こまもないけど こまはいらん
ようかんもないけど ようかんはいらん。
大きなうさぎが、かかるし、
キャラメルのくじびきがあたるし
くらま天ぐの絵がかけるようになるし、
てんらんかいに、一とうとれるし
ぼく
うれしいことばっかしや
ほんまに
よい正月がきよる
ぼくは、らいねんがすきや。
小学校2年生のふうちゃんが「お正月」と題したこの詩は、還暦を過ぎた私を今なお励まし続ける。
お正月になったら、キャラメルの空き箱拾ってクーポン集めて賞品もらう。鞍馬天狗の映画看板を参考に展覧会で絵の一等賞になる。裏山の仕掛けで野ウサギが獲れる。だから、それらを仕込めるお正月はよい正月で、凧も独楽も羊羹もいらない。よいことづくめの来年が好きだ!懸命に生活する少年に迷いはない。知恵と工夫で未来を準備し夢と希望を実現していくばかりだ。
ところで、3.11直後、震災地のある卒業式で、総代の少年が「世界一と自慢の防潮堤は全く無力で、大好きな故郷は消えてしまった」というようなことを涙をこらえ身をよじるようにして語っていた。「世界一の防潮堤」は彼の誇りだっただろう。「先進国日本のインフラは虚妄で、教えられた誇りは大嘘だ」と大自然の猛威に暴露され、さぞくやしかっただろう。実に教壇に立つものとして深く反省させられた。それを教えたのはだれあろう、我々のような存在である。電力・食糧・工業力などの欠乏、すなわち日本国民の貧困の現状をこそ教えるべきだった。そして、貧困を生きる誇りの持ち方を学んでもらうべきだった。幾多の「総代の少年」たちに、「防潮堤に代わる何かを発明したい」とか「ぼくらがよい正月を来させてみせる」とか「それでも未来が好きだ。うれしくなることばかりだ」といえるような知恵や才覚、ヒトが本来持っている生命力や精神をとりもどさせてやりたい。そう思わずにはいられない。
ふうちゃんも貧困の悲痛を生きたけれど、絶望はしなかった。他者に求めず、自力で未来を計画し、その成果を楽しみにする健康な生命力と精神は、現代の日本人をその絶望やあきらめ、呪う心や自暴自棄から、立ち直らせるのではあるまいか。この一冊は学術書ではないが、必ず読むものを賢明にさせる書物である。
(以上 倉田氏の文章)
こどもが本来持っているちからをおとなが取り戻させてやりたい という筆者の思いは
もう一度 おとなたちが反省の上に立ち、「この本に溢れているこどもたちという自然」から学びなおすことではないか。
そして、ぷれジョブがみんなを元気にさせるのは この文章に書かれたことが起こっているからだと思う。おとなもこどもも皆、「ほんらい」になるのだと思う。
この本も理論社 故小宮山量平さんの手によるものである。絶版なので今は手に入りにくいが、私はエデイターズ・ミュージアム(上田市)を訪れた時に読ませていただいた。
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