東京都渋谷区松濤にあるギャラリーTOMで本日から開催されている村山亜土没後20年を記念した展覧会のオープニングに馳せ参じました。
そこで、私は久方ぶりで館長の村山治江さんにお目にかかることができ、今もその余韻の内にいます。ご高齢に重ねて一昨年病に倒れられ、願いつつもお会いする機会が無いままに時が過ぎて来ました。ギャラリー関係者でさえ、お会いする機会は少ないとのことでした。
オープニングの話者副館長の岩崎清さんのお話を待ちながら、窓際の椅子からふと窓外に目を遣った時、短冊状に切り分けられた回転式ガラス窓の隙間にフレーミングされて、凛とした館長のプロフィール(横顔)が目に飛び込んで来ました。それは、村山知義の筆による若き日の肖像のお顔そのままでした。
その瞬間、私が今日この場所に来たことの意味が啓示されたのを、畏怖の念をもって自覚しました。世紀の変り目に畏友に導かれてズビニェク・セカルの彫刻展を拝見して以来、私はどれほどこの人から美の道行を示されて来たことでしょう。
今回の訪問が特別な意味を持つのには理由があります。昨年私は、ギャラリーの小展示室の壁面に設えられた亜土さんの戯曲作品集である『コックの王様』(1968年理論社刊)の原画を発見し、所持者のご厚意により治江さんにお知らせすることができたのです。長年に亘る教えに少しでも報いることが出来たとすれば、それは私にとって望外の喜びです。
奇しくも、この唯一無二の作品の提供者こそ、理論社を創設された故小宮山量平氏の長女荒井きぬ枝さんその人なのです。彼女には、9月開催の「浮田要三と『きりん』の世界」展で166冊に及ぶ児童詩誌『きりん』のオリジナルをお借りすることになっています。
おしまいに、展覧会の内容についてここで私が補足説明をするよりも、出来るだけ多くの方々にこの二人の芸術家の魂の交歓に触れていただきたいと切に願います。
先ほど私は「啓示」と書きましたが、展覧会カタログの最後の頁に置かれた館長の言葉には息を呑みました。その言葉が、浮田要三の示した人間の真実そのものだったからです。
(2022年6月11日)
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