先日、事務所に尾野一矢さんや大坪さん、剛志さん、チキ子さんがいらした時に伺った企画展が始まりました。タイトルもショッキングです。
なんと展示室の中に、尾野一矢さんの部屋の再現スペースがあるそうです。
一矢さん大坪さんが実際に美術館のその部屋に居る。というのです。
一矢さんの声が響きますね。
10月までありますから、わたしもいってみたいと思います。
以下は工藤さんの投稿された文章をシェアしています。
東京都現代美術館にてMOTアニュアル https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mot-annual-2022/ 昨日はプレス内覧会でしたが、多くの方々が作品を熱心に見てくださりとても嬉しかったです。
この展示のお話を学芸員の西川美穂子さんに一年前にいただいてから毎日文献を読み、調べ、考え、取材をしてたくさんの貴重な出会いと普段では聞けないお話を聞きました。「作品を作り見せる」という機会だけでなく、歴史という事実の積み重ねを見つめていき、それがどのように社会構造を作っているのか、どのように現在生きている私たちにつながっているのか、それを自分はどう捉え可視化していくのかというのを集中して考える機会をいただいたと思っています。
今回、実際に相模原障害者施設殺傷事件について被害にあった方やご家族、介助者の方、施設のスタッフの方々などとお会いして、今まで知らなかったことを多く知ることができました。 社会の中で「人間らしく生きる」ことを可能にするために戦ってきた人達がいること、そしてそれを支え伝える役割をしている人達がいること、匿名のまま葬られている人々の魂に寄り添っている人、報道されない悲しい事実などもたくさん知りました。
人はそれぞれ見つめているものが違うという当たり前の事実から、差異が単なる差異でなくそれが認められる側と認められない側に分けられることによって生まれる特権性について、自分が無自覚でいられたということそのものが、差別が構造的なものであり自分がその中にいるということに気付かされたのでした。
差異は差異でしかなく、そのものに上下はなく同じ立場であるのに、それを分断しているもの(分断しているという自覚すらなく)の形を、鑑賞者の頭の中に可視化する装置を作るのにどうしたらよいのか、ということを毎日毎日考えました。
葛藤しながらも動き出した人々の水平な広がり、そこで生まれる軋轢、人間の権利を巡って活動していた人が逆に人間の権利を縛る側にいったこと、個人の権利の主張への社会の無理解など、過去の出来事を集めたものがそのまま現在の構造と変わらないことに希望と怒り両方の感情を持ちました。 管理する側される側という垂直な動きに抗い、人の意思と行動によって広がる水平な動き。怒りと希望、その中には単純に善悪、正しい正しくないと分けられない複雑な層が絡み合っています。それをそのまま見つめること、怒りと希望を持ち続けながら行動すること、人と会い話を聞くこと。それを形にしていくこと。
今回初めて美術館で個展形式で展示をすることになり多くのプロフェッショナルな現場の方々にたくさん助けていただき、学びました。西川さんには、思考の交通整理やしばしば客観性がなくなってしまう私に「伝える」ための視点などを気づかせてもらいました。 空間を作ることの難しさ、面白さ、自分の力の足りなさを改めて感じ、すでにもう次の作品を作りたくなっています。40代半ばにして今が一番作ることの楽しさを感じているような気がします。
出品作家4人分の展覧会全体をじっくり見ようと思うと最低3時間はかかります。それくらい濃厚な展覧会です。
ぜひ時間に余裕をもって、見に来ていただけたらうれしいです。
招待状がありますので、ご希望の方はメッセージしていただければ送りますのでお伝えください。
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