「作業所の障害者を皆殺しにする!」
凶器のナイフを揃え、犯行予定日に自宅を出た彼女は、以前からの言動で警察などにマークされていたため、すぐさま警察官に職務質問され荷物検査から彼女が持つバッグから数丁のナイフを発見し任意同行となり本稿は未然に防がれた。
この事件を報じたのは、昨年の暮れネット上の短く「相模原事件の死刑囚を『尊敬』障害者施設を襲撃目的の女 佐賀 初公判12月24日。翌月7日判決」とあった。紙面では佐賀地方紙に掲載されただけである。
植松聖に強い尊敬を見せるコアな人たちがネットでは一部いる。しかし、それを現実のものとし、第2計画としたところが、相模原事件を第1計画と見立てている所に熱狂的な植松信者と言わざるを得ない。
事件のあらましを簡単に言うと、2019年12月、佐賀県の障害者作業所に通う被告が、近くの交番に包丁とガソリンなどを持ち込み「保護」されたことから始まる。
のちに分かるのだがこの被告は軽度知的障害者であり、女性であるという事だ。作業所に通う先輩利用者が掃除用具の片付ける場所を覚えていないために、片づけはいつも彼女に回っていたらしく、それを不快に感じている中、植松聖の犯行や動機などに感銘して、彼女自身の犯行を思いついたのだという。
私はこの事件をある雑誌で最近読んだのだが、背筋が凍った。これまで植松聖の犯行は優生思想にのっとったものであると同時に施設職員らの虐待問題が深く背景にあると思ってきた。それは一貫として今も変わらないのだが、佐賀での未遂事件は同じ障害者であることに愕然とした。
つまり施設職員(健全者)という枠ではなく、障害者間でもいとも簡単に、誰でも植松聖になれるという事である。それが被告自身の自己中心的な妬みであったにしろ、「殺す側の論理」になってしまう。
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