浮田要三へのオマージュ(9回目のご命日に)


 ここ数年、フェイスブックでこの日を記念して来ましたが、今年は9月17日(土)から小海町高原美術館で開催する「浮田要三と『きりん』の世界」展の準備を進めながらこの日を迎えました。

 今回は、この日にふさわしい話題を選んで、皆さんに展覧会準備の進捗報告を兼ねた文章を書かせていただきます。

 今月初旬、私は今回の展覧会に全面的にご協力をいただいている長女の小崎唯さんからの格別なご配慮を受けて、浮田さんが生前大切に保管されていた蔵書をお預かりに旧浮田宅にお邪魔しました。現在はお孫さんご家族が住まわれるその素敵なお家の物置部屋に『お宝』は眠っていました。

 本棚の一番低い棚には、浮田さんがその若き日に心血を注がれた児童詩誌『きりん』に縁の深い詩人たちの本が整然と並べられていました。竹中郁、坂本遼、足立巻一といった初期『きりん』を支えた恩人たち。そして、当時『きりん』に投稿していた灰谷健次郎も。

 私は敬意を持ってこの大切な棚を写真に収めたあと、これらの本をお預かりしました。

 この棚は、この配置のまま9月から始まる展覧会の第3展示室に復元される予定です。

 ふと、上段の棚に目を遣ったときのことでした。無造作に茶色の厚紙にくるまれて養生用のテープで簡単に固定されたモノが、ポツンとそこに置かれてありました。この際、展覧会に活用できそうな物なら、何でも一通り運び出してみようと、包みを開けた瞬間、私は息を呑みました。

 そこには、現在私が編集している展覧会を記念したリーフレットを入れるのにふさわしいビニール袋が数百枚束になっていたのです。私は、ひとまず同行された猿澤恵子さんにその包みをお渡しして、残りの書籍類を段ボールに詰める作業に戻りました。

 一通りの荷物を運び出したあと、唯さんがお孫さんとピアノ発表会の最後の仕上げの練習をされる素敵な連弾の音色を聴きながら、浮田さんの本棚の佇まいを胸に刻んでいました。

 そのあと、私はリーフレットへの広告掲載のお願いに大阪と神戸のギャラリーや画材屋にご挨拶に回りましたので、あの「包み」は唯さんのご自宅にお預けしておいたのです。

 私は、数枚のビニール袋を見本として拝借して、手作りのリーフレット見本をその袋の中に差し入れました。頼んだようなドンピシャの大きさ!この浮田さんの本棚に眠っていた袋に大切に入れられた見本を手にして、私は連日お願いをして歩きました。

 歩きながら、私はふと気がつきました。『そうか、若き日の浮田さんは、これを毎月続けておられたんだ!』

 浮田さんは、盟友の星芳郎さんと二人だけでバラック小屋で活字を拾いながら毎月の編集と発行を続けたばかりでなく、刷り上がった『きりん』の広告取りや販売も一手に引き受けておられたのでした。私は、たった1回ですが、浮田さんの足跡を辿らせていただくという忘れがたい経験をさせていただいているのです。

 そして、現在、おかげさまで私たちの熱意と美術ギャラリーや画材製造販売関係者の浮田さんへの敬意が結集し始めています。

 今回、『きりん』を模して作成したリーフレットを包む袋が、のちに「アトリエUKITA」となる今里の袋工場で製造された浮田要三社長手ずからのビニール袋だということは、本当にかけがえのない貴重な祈念となりましょう。

 ギャラリーめぐりをしていた私に、唯さんからお電話が入りました。

「宮尾さん、よく見たらあのビニール袋を包んだ紙に父の懐かしい字で『きりんの袋』って書いてありましたよ!」

 そうです。浮田さんは、このときのために、ちょうど数百枚ほど、『きりんの袋』を大切に保管しておいてくださったのです。

 浮田さんの字で書かれた『きりんの袋』の写真は、展覧会の第3展示室でごらんいただくことにして、今回は袋の包みとリーフレットの写真だけ、皆さんにお裾分けいたします。

                             (2022年7月21日)  


     浮田さんが大切に保存されていた『きりん』に縁のある詩人たちの著作

          人知れず、長い年月このときを待っていた紙包み

          『きりん』を容れるにふさわしいビニール袋



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