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執筆者の写真miyao0107

生誕120年記念 詩人 坂本遼展


                            ※姫路文学館公式サイトより


 今月7日(土)から、兵庫県姫路文学館で企画展「生誕120年記念 詩人 坂本遼展」が始まります。ちょうど、浮田要三が生誕100年記念ですから、私たちはこの機会に坂本さんと浮田さんの14年にわたる『きりん』をめぐる関係性を想像することが出来ます。

 昨年春からの『きりん』精読作業の履歴を記録した「児童詩誌『きりん』精読ノート」を読み返すと、第8回目の記録(2023年6月30日付)に以下の引用があります。


 よい詩は生活から生まれるのです。たとえば山みちを通っているとき、道の上にオモチャが落ちているのを見た。落したこどもが心配して、またさがしに来るにちがいないと思って、道ばたの松の木にくゝりつけてやつたとします。この松の木にくゝりつけてやる行い(おこない)は詩です。赤い人形のオモチャがぷらぷら緑の中で風にゆられている風景もまた詩です。それから子ツバメがクモのすにひっかゝっているのを見て助けてやるこの行いも詩です。やっと助かって、子ツバメが青空高くまい上る風景(ふうけい)も詩です。どんなことでもいゝ、正しい生活をしている人は、その生活そのまゝが詩になるのです。いってみれば、もっとも正しい生活をしている人は、朝おきた時から晩ねるまで、すること、なすこと全部が詩になるわけです。


 これは、1949(昭和24)年10月号に載せられた「詩と生活」と題した選者5名による鼎談の記録の終盤に出て来る坂本さんの発言です。1904年生れの坂本さんは、当時45歳でした。

 


        選者5名が参加した鼎談 創刊15冊目にして「詩論」が展開されている


 今でも、この坂本さんの言葉に初めて触れた時に受けた印象は心に深く残っています。

 

 「正しい生活をしている人は、朝おきた時から晩ねるまで、すること、なすこと全部が詩になる」

 

 実に、「詩と生活」という鼎談のテーマにふさわしい発言ですが、私がこれまで読み進めた100冊を超える『きりん』でも、坂本さんが綴方教室で選ばれた子どもたちの作品には常にこの「生活と作品の一致」という思想が流れているように思えてなりません。

 そして、それは同時に坂本さんの唯一の詩集『たんぽぽ』から、『きりん』に寄せられた連載児童小説『かみさま』(後に『今日も生きて』と題して出版)まで共通しています。

 

 最近、エディターズミュージアムに坂本さんから編集者小宮山量平に預けられた鉛筆書きの原稿の束が保管されているのを発見して、私は驚きました。それらの多くは、『きりん』の編集発行が理論社に移管されて以降に書かれたものです。

 その中に、「キジの卵」という4枚の短文がありました。坂本さんが、幼なじみの岩崎君について思い出を記した随筆です。新婚の坂本夫妻を訪ねてきた岩崎君が、身ごもっていた夫人の身体に滋養が付くように、と山の草刈り作業中に見つけたキジの巣から拾ってきた卵を持参した様子が描かれたあとに、こうあります——


 もう一つ覚えていることというのは、その時、岩崎君が和服の懐から赤ん坊のオモチャの「ガラガラ」を取り出して見せたことだった。

 「これ、横谷峠の、ちょうどテッペンの道に落ちていたんですよ。持ってはきたものの、よく考えてみると、里帰りをする若い嫁さんの背中の赤ん坊が、ねむってしまって落したんだろうと思うんで、可哀そうなんです。里帰りですから、二、三日したら、また峠を通って帰りましょうね。それで、よく見える松の枝につッといたろかと思いましてな…」

 こういって、岩崎君は、私の家から帰りしな、オモチャを松につるすためのヒモまで持っていったことだった。


 私は、これを読んで、その晩年まで変わることのなかった寡黙な詩人の心根に触れる思いがしました。この清らかな詩情こそが、長年『きりん』を支え続けたエスプリ(精神)を証しています。


 この機会に、私も『きりん』を支えた恩人・坂本遼の世界に浸りたいと思います。


                             (2024年12月2日)

 




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