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執筆者の写真西 幸代

自分の障害を知ったきっかけ

地域の小学校に入学する以前の事を書いてみたい。私が自分の障害に気づかされたのは、実は弟の軽いいたずらである。当時、母親の末弟である、私から見れば叔父であるが、一台のカセットレコーダーを買って貰った。

レコーダーというぐらいだから録音機能も付いており、1970年代の私たち兄弟にとっては夢の宝箱となった。


ある時,いたずら心が絶えない弟が何かカセットレコーダーで録音したらしく「お前、これ聞いてみろ」と流した。聞こえてきたのは何を言っているか解らない呪文のようなお経のようなオドロオドロシイ声であった。すぐさま弟に「何言っているか解らんけど、ぶち怖い」(「ぶち」というのは山口の方言で、めちゃくちゃという意味。)

と弟に告げました。本当に私は何を言っているのか全く解らなかったのです。それが私自身の声だと理解するには多少の時間を要しました。

 はじめは自分でも受け入れられなくて、ただ泣く事しかできませんでした。自分が普通でない事の怖さ。泣いて状況も変わるのではなくて、当分の間自分で声を出すのを躊躇する場面が多かったと記憶しています。

 この時の感情、つまり障害を持った子供が自分に障害がある事実を知った瞬間は障害を持つ身であれば誰でも経験していると思います。先天性障害なら幼少期に。中途障害なら自己または病気などから目覚めたときなど、

そういうことを考えると、私が生まれて54年・半世紀たっても障害を持つと、健全者(*障害者運動用語で健常者を健全者と呼んでいます。)よりも「可哀想な人間」という流れ。ある意味での優生思想が脈々と生き続けているのだと実感しています。

 今、社会では多様性を認めていこうとキャッチフレーズのように言っていますが、障害児・者という枠の中ではまだまだ厳しいものがあります。

 我が国の障害者福祉制度は、当事者である障害者の先人たちがひとつひとつ作り上げてきました時には権力者と本気でぶつかり合って。制度とか法律などの環境面というハード面も今からも構築してゆく必要があるのですが、人の感情、例えば障害者に対する偏見や差別心。こればかりは教科書通りでは難しく、まさしく当事者たる障害者と出会い、知っていくのがより大切だと思うんです。


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