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執筆者の写真西 幸代

障害があって何が悪い!

現在、私が住んでいる地域の校区の小学校に人工呼吸器をつけた児童が、普通が学級に通っている。たまたま同じ集会で一緒になるのだが、学校の友人も多いとのこと。その児童が今年の4月に同じ校区の普通学級の中学生となった。彼の生きる逞しさを感じるたびに私自身の小・中学生時代はなんだったのか?と痛感する。


私は子供の時から両親に「みんなの足手まといになるな!」と厳しく教えられてきた。その教えから「僕はまともじゃないのだ」と思い続けた。苛めというかバカにされることはしょっちゅうで、負けん気が強かった僕はよくケンカをしていた。けんかはするが、負けて、たくさん悔しい思いもしてきた。


子どもの時に出会う大人は、変な人ばかりで、祈祷師まがいの男二人連れに「君は余り生きられない」と言われたのだが、54歳にもなるが普通に生きている。


子供時代に入院している時に、勝手に部屋に入り込んで、私を見るなり拝んだ人もいた。すぐ親父が病室から排除してくれたのは言うまでもない。


両親や教員、周りの大人たちは私の障害に対して「可哀想に」「お気の毒」などの言葉しかなく、親戚の叔父などは私を前にして「お前がまとも(健常者)だったら」と嘆いていた。

肉親だから言える話もあるのは理解できるが、何も当人を前にいうべき言葉だったろうか?


私がやっと自分の障害について肯定できる言葉と出会ったのが、20歳の時に出会った「青い芝の会」であった。


「障害があって何が悪い!」「脳性マヒはひとつの個性だ」この言葉に長年積もり積もった疑念に霧が晴れた気持ちがした。


小・中・高校という、いわゆる教育課程に、青い芝の会のような障害肯定論を聞けていれば、私の10代も違っていただろう。

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