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NPOグロー事件とぷれジョブ

更新日:6月20日

ぷれジョブを23年続けていて、組織内に代謝が起きないとき(人事の固定化)、利権と支配構造が生まれていく様子がみて取れます。もともとぷれジョブは「地域(ジョブサポーター・学校(教師)・保護者・企業)」の真ん中に特定の意図や人が入り込まないよう、組織の代謝を考えたしくみとして、2003年6月に私が設計提案して活動を始めました。


2009年1月、商標権が取得できたので、倉敷市玉島沙美にあるカモ井加工紙所有の事務所で倉敷市インクルージョン推進事業連絡協議会主催で岡山県内活動者に集まっていただき、その著作権・商標権の取得と意味の説明会を開きました。


地域の人々がその地域のぷれジョブ時間に対等に集えるためには、支配者がいないこと、俗にいうおつぼねさまや家父長制のゲタを履いた「おじさん」は、組織内でその力を振るわないよう、ぷれジョブを行うときは立場を置いて参加すること。また、保護者会ではない、運営の中心に保護者がならないよう、あくまでも保護者は1/4にデザインしている意味を説明しました。一見保護者に厳しい仕組みに思えるかもしれませんが、障害のある子どもとその保護者が共依存関係を強化しやすく、支配構造に簡単に取り込まれて利用されるので、そうしています。


理念なき方法は、人間の階層を固定化し、安価な労働力育成マシンの部品となります。


障害のある子どもの世話を家庭に負わせ、無償のジョブサポーターの市民と無償の場所提供企業を利用すれば、公助を削るよい方法となり、現在の自己責任論に回収されていきます。現在の介護や生活保護やこども食堂の置かれた状況と重なります。


親がひとりひとりの人間として成熟していけるよう、社会に開かれ構造的差別に目が向くよう、さまざま思い出しとり戻してもらいたい、祈りの1時間保証の意味もあります。


大きく見れば、組織に循環が起きて内部が腐らないよう、個別で見れば、子どもの対象者18歳までとして保護者が卒業して次にすすめるようにしたのです。



支配構造の究極は戦争で、性暴力を伴います。NPOグローの事件を知ると長年権力勾配の中で生きぬいた人は戦場を生きるのと同じだったかもしれません。事件解明はこれからです。

ぷれジョブに起きた事象と照らしながら随時、検証していきます。以下昨日のFBより。



被告であった北岡賢剛氏は長年、日本の福祉にかかわる議員たちやら利権やらが絡みついた人 。芥川の小説「蜘蛛の糸」みたいに沢山がしがみついている、先に光があると思わされた人々もその危うい糸にまぶれてついて、ぶらさがっているイメージがありました、アメニティフォーラムをみていて。当初の「人の幸福」を目指す理念は遠ざかり、中間搾取のしくみに吸い寄せられ取り込まれ、社会から排除されて這い上がりたい弱い立場だった人が成金みたいになっていく姿をずっとみていた。いつの間にか、また福祉は金になるに後戻り。


この事件の謝罪を北岡賢剛氏はまだしていないと聞きます。このまま取り巻きも今媚びておけば、人々の熱が冷めた頃に大きなミカエリがあると考えてこの事件後でも北岡氏の擁護に回る人がいるとも聞きます。どこまでもホモソーシャルなマッチョな関係の見直しが必要です。




以下アサダワタルさんのコメントシェアしました。

>少し長いですが以下コメント付きでシェアします。

「グローという法人の今のありようをきちんと見て、基準に合わない、許せないことがあれば、取り消しも含めて厳しく対応せざるをえないが、見てみないとわからない」。三日月さん、それは本当に何も言っていないと一緒ですよ。

係争中を理由に何も言わなかった組織、個人が、判決後もこうして明確な態度を表明しない。指定管理を取り消すかどうかという結論の話以前に、「見てみないとわからない」は永遠に繰り返される二次加害であって、その発言自体の根拠をせめて示してほしい。なぜこの段階でも「わからない」と言ってしまえるのか。行政機関の長として発言の重みを理解されているとは思えない。

グローの功績を、北岡氏本人の功績をまるまんま否定しろということではない。でも、こうなった以上、私たちはその「功績」が一体どういう構造のもとで構築され、膨らんでいったのかということを、現在の時点からでも遡ってつぶさに再確認していくことを怠ってはいけない。だから、「それとこれとは別」でもなく、「これがあってもそれは認められる」でもなく、「それとこれが絡まり合っている」という視点を批判的に持たないといけないということ。それは公判の結果が出れば尚のことだけど、係争中であっても本来はそういう視点を持って語り合わないと、いつまでたっても、この構造自体は温存され、原告への二次加害が続いてしまうのだと思います。中居正広とフジのアナウンサーの方の件をみていても、橋下徹とか古市憲寿などの執拗な自己保身(自分の発言を取り消したくない)のためとしか思えない発言の垂れ流しにもほんとにウンザリです。

前知事で、夏の参院選にも維新の比例で出馬する嘉田由紀子さんがかつてこのような投稿もしていました。

まだ係争中の時点ではあったけど、事件のことに一切ふれずに北岡氏の功績を手放しで賞賛はこの時点でもちょっと信じられないと思います。その投稿に対して、NO-MA館長の大西暢夫さんもコメントで「社会福祉法人運営美術館としての役割は大きいのかなと思っています。それが糸賀一雄氏であったり、池田太郎氏であったり、田村一二氏であったり、現在の北岡賢剛氏であったり、偉大なきっかけだったと思います。」と言っていますが、言葉尻を取るように聞こえるかもですが、なぜわざわざ「現在の北岡賢剛氏」とその功績を引き続き手放しで認めていることにはかなり違和感がありました。立場上、そう言わざるを得ないのか、本音なのかわかりませんが、こういうひとつひとつがじわじわと「構造」を温存させることになります。

シェアした元投稿の以下の文言を再度強調したいです。

“長年の北岡賢剛氏による性暴力・ハラスメント被害について、いくつもの高いハードルを乗り越えながら原告がようやく声を上げた時、北岡氏が役員などで関わっている多くの法人は沈黙するか、係争中を理由に何も表明してきませんでした。また、滋賀県も係争中を理由として、態度を表明してきませんでした。

一方で、声を上げたのは、原告の友人や元同僚、家族、そして、滋賀県でもこの事案に関心を向けてくださった市民の皆さんでした。

この構造自体が、まさに性暴力・ハラスメントを温存させている仕組みそのものように感じます。

もしも、力を持っている法人役員の皆さんが、行政機関の皆さんが、「性暴力・ハラスメントは絶対に許されるものではなく、その声をあげた人がいたとしたら、その方たちの安全性を保障しながら、真摯に耳を傾ける」と表明したとしたら…

暴力の構造を温存せずに二次被害が防げるかもしれない…

他に被害を受けていた人がいたら、その人も声をあげられたかもしれない…

未来の世代の皆さんが、声をあげてもいいんだと思えたかもしれない…”

自分も同じことを繰り返したくない。

あの頃の自分を乗り越えたい。

少しでも少しでも確実に、本当にそうしていきましょう。

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