相模原障害者施設殺傷事件10年目に思うこと
- 西 幸代
- 7月25日
- 読了時間: 4分

『マイノリティの権利保障は人類の進歩とともに当然前に歩む。しかしバックラッシュの今、権利を回復すればするほど、権利を主張すればするほど、不満のはけ口を求める人々を利用する悪意が差別偏見を増産している。2016年相模原事件の時より社会の傷みの深刻さが増して弱者のいのちが危険である』
今、何ができるのか。
相模原事件が2016年に起きて明日で10年目、敗戦80年目、児童の友香さんと出会ったぷれジョブ創始30年の年でもある。
事件の死者19人が生きていたら、友香さんが生きていたら、こうあってほしいと思う社会を巡らせながら歩んだ年月である。ぷれジョブの理念を間違えないように進めるために法人化もした。しかし、社会の欲望とぷれジョブにかかわる人間の欲望は相似形で、欲望の増大は止まらない。
ぷれジョブの『隣近所の人間が欲望を抑え「ただ1時間、共に居る」こと』が至難である。
・親が1/4のサイズにならず全部仕切る
・権力者が体よく親にやらせて支配する
・母親を管理し、人としての成熟を止めさせて、公助がするべきことをタダ働きに使う
・従順な労働力になるように子ども時代から仕込み、企業や起こりうる戦争に利用する
・知的財産権を侵害してでも、親が公や企業からの補助金や助成金がほしがる
・お金のかからないタダ働きする体のいい地域ボランティアを利用する
・「自助と家庭」を女に背負わせて家父長制の権力勾配関係を維持する
・我が子の、我が学校の、我が県の、障害者雇用一番を競うのに使う

図の赤や黄色しか価値のない社会ではどんなに工夫しても限界があり、障害者はそのまま生きられない。障害者に壮絶な努力を強いる。青色の価値を基礎にした社会ができれば誰もが生きやすい。近づく方法ぷれジョブは1996年、障害のある児童のともかさんとともに西幸代が居るときに思いついた。青色を伝えるには、
・母親は子どもの青色の代弁者になれないことを自覚し、
・他者たち3/4とともに「居るだけ」の質の良い時間空間をつくり、
・親が1/4のサイズに小さくなるように心がけてすこしずつ8年間かけて子離れし、
・「だれかに支配されない、居てもいい1時間」の空間を作る。
多くの人々の手間と多くの時間の蓄積が子どもを危険にさらさない網になる。
子どもを守ることと、親が離れることは矛盾しない。
ぷれジョブを行いたいと申し出るのは母親が圧倒的に多い。
女を支配して利用する「おじさん権力(家父長制)」は地方に色濃くのこる。権力が女を安上がりの福祉に押し込めて使う例がいたるところにある。
日本社会で、最も家父長制の支配を受け、「都合」よき母、「都合」よき地域住民を内面化して自ら進んで行い生き延びる習慣を身に着けたのが障害のある子どもの母親の現状である。構造的差別の仕組みに取り込まれ、被害と加害を同時に受けやすい脆弱な存在である。
ゆえに、毎週1時間子どもから離れて、支配から離れて、しかも継続して客観的な視野を持つための学習を行う必要がある。既存の家父長制が支配する仕組みに取り込まれず、「支配の父性」を逆に身に着けた名誉男性として人を支配せず、押し付けられた役目を下ろして、女として成熟した一生をそれぞれが送ること自体が社会を変えていく方法となりえる。
ぷれジョブの研修でなぜ?と思うかの知れないが、満蒙開拓団の歴史や白いかっぽう着の女(愛国婦人会・国防婦人会⇒大日本婦人会)の歴史を勉強している。法人役員のなかに体験者がおり法人が擁しているのはありがたいことである。
人類の善き面が出る社会づくりとしての「ぷれジョブ」を今後も磨いてよきものにしていくことが、相模原事件の犠牲者と創始者友香さんへの誓いである。
令和7年7月25日
西 幸代
♯ぷれジョブ
♯相模原障害者施設殺傷事件
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