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いさみなおこ

絵本『ぺにろいやるのおにたいじ』

更新日:2021年9月15日


『ぺにろいやるのおにたいじ』 ジョーダン作 吉田甲子太郎訳 山中春雄画

福音館書店 1989年復刻版初版発行(1957年初出)


この作品は1957年初出、戦後の日本で生まれた福音館書店「こどものとも」初期の作品のうちの1冊。原作は西洋の昔話を再話したジョーダンの「騎士とバーバラの本」からの一編で、ヨーロッパの人々の間で語り継がれてきた古い物語です。

あらすじです。


人からいつもお人好しの意気地無しと思われている小さな男の子が主人公。

このぺにろいやるが住むお城の近くに、鬼の城があってみんなを脅かしています。

王子が勇んで退治に行っても返り討ちにされ、大砲を撃って多くの兵隊を送り込んでも全く歯が立ちません。

そこへ困った人々を助けるために、1人で鬼の城へ向かうぺにろいやる。 いったいどうやって鬼を退治するのでしょうか。


「ぼくがね、おにの ところへ いって、どこかへ ひっこしてもらうように、たのんでこよう」


ぺにろいやるは、ぼうしを かぶって、ぽけっとに いしけりだまを つめこみ、たこと たいことをもって、でかけました。


どうして ぺにろいやる は、いしけりだまや、たこ などの おもちゃを もって、でかけたのでしょう。

それはね、おともだちの ところへ、ちょっと、あそびに いくような、きもち だったから です。


みんなはぺにろいやるを止めますが、ぺにろいやるはおもちゃを持って出かけてしまいます。それもお友達のおうちに遊びにいくような気持ちで。

そしてぺにろいやるは鬼の城に着くと丁寧に挨拶をし、今日はいい天気だとニッコリ鬼に笑いかけます。それに立派なお城に感心するのです。


「おにさん、こんにちは。」


「おにさん、いい おてんき ですね。」

「いい てんきだなぁ。」

「おにさん、ずいぶん りっぱな おしろ ですね。」


これには鬼もつられて笑ってしまうし、ぺにろいやるがちっとも怖がらないので脅す気になれません。褒められるので、城にいっぱい隠してある骨を見られたらどうしようと決まりが悪くなる始末。そして骨を見られたくない鬼は、その部屋を小さな箱に変えて隠してしまいます。


「やあ、こんな きれいな、はこが ある。」


城を見せてもらいながら、その小さな箱を見つけたぺにろいやるが振り返るとそこに鬼の姿はなく、鬼のお面を隠そうとする可愛らしい男の子がいました。

「きみ、だあれ。」

「それよりも、むぎわらで あそぼうよ。」 こうして2人一緒になって夢中で遊んでいると、だんだん鬼の城は小さくなり、2人が遊んでいる部屋一つだけになってしまいました。鬼の呻き声が聞こえなくなったお城の人々は、窓から除いて鬼の城がみえないことに驚きます。王子が確認に行くと、鬼の城は跡形もなく、そこには美しいテントの小屋で2人の男の子の遊ぶ姿があるばかりでした。(終)


 


このぺにろいやるの無血開城は、本当に見事だと思いませんか? 鬼が可愛らしい男の子に姿を変えるのも、鬼城が小さくなって、最後には美しいテントになってしまうのも、何故なのか。私はこの物語を読むと、途中から笑みが止まりません。ぺにろいやるは、特別な力があるわけでもなく、知略をはかったわけでもありません。自分に持てるものだけのもので、礼儀正しく接し、一緒に遊んだ。これだけです。

人々が怖れ慄いた鬼にどうしてこんな風にできたのでしょうか? 私はぺにろいやるの「純粋さ」がこの物語の一つの鍵だと思いっています。この「純粋さ」が切り開く力の信頼は、モーリス・ドリュオンの児童文学『みどりのゆび』に通じるものがあります。ぺにろいやるの純粋さは争いを生みません。相手の武装を解き「鬼」という抽象的な存在から「可愛い男の子」という身近な存在に変化させてしまう力。対立はなくなり、互いの存在を許し合う世界は、争いがなく美しい平和な世界です。

ぺにろいやるの、相手が誰であっても尊重する心、自分を大きく見せることも小さく見せることもない等身大の潔さ。相手を尊重し敬う姿勢から、ぺにろいやるの純粋さが決して無知ではないことがわかります。そしてそんな存在と対峙したらどうでしょうか。少なくとも私はこの鬼と同じような気持ちになると思います。人は自分に向けられたものを同じように返すことができます。そして本来、人間らしさとはそういうものだと思うのです。 また逆に、人々の心の隙間に生まれた「異質なものへの無理解」、「不確かなものへの拒絶」、「不安や怖れ」が大きくなれば、そこには分断が生まれ対立していきます。それはたやすく対岸の脅威となって自分を襲ってくるものとなり、その前に悪とし成敗するものへと変わっていってしまいます。不寛容で無理解ないまの世の中ではそれらがいろいろな「正義」の姿でやってくることもあります。 私たちは鬼にもぺにろいやるにもなりうる可能性がありますね。でも鬼の脅威がどうして生まれたのか気がつくことができれば、力を振るう必要はなくなるのではないかと思うのです。そのことを忘れず、自分の中の純粋さを失わず、ぺにろいやるのようにできれば、社会はいまよりちょっと良くなるかもしれませんね。


 

福音館書店の「こどものとも」について。 福音館書店は、この時代の、戦後の日本において最も肉体的な糧が必要な時代に、いまを生きるこどもたちにとって必要なのは「心の糧」であると本気で考え、たくさんの素晴らしい物語絵本を世に送り出しました。 「こどものともの歩み その1」で福音館書店の編集者であった松居直氏は「その時代に多く見られた保育絵本のための絵雑誌にみられる類型性と非芸術性が非常に気になり、子どもたちの読書力を育むための、高い芸術性と大胆なモダニズム、美しさをそなえた、見ているだけで今も心の中にはっきりと、かついきいきと残っていて語りかけてくる絵画が必要で、これまでの既成絵本とは違う、まったく自由な気持ちで、日本画、洋画、版画、彫刻、グラフィックデザイン、漫画など物語にふさわしい描き手を選んだ(要約)。」と言っています。この編集者の思いに共鳴し応えた第一線のプロたちが絵本の芸術性を高めるために腕を奮いました。 この作品でいえば、ジョーダンの原作を日本の児童文学者でもあった吉田甲子太郎が訳をつけ、フランス帰りの新進気鋭の洋画家山中春雄が画をつけています。

吉田甲子太郎のテキストを楽しみ、山中春雄のポップで可愛らしいイラストレーションを愛で、ヨーロッパの民話伝承の独特の持ち味や思想を味わう。そんな風にも読むことができる作品です。

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最後の最後に。(これがいちばん言いたかったかもしれない) とにかく、可愛くて不思議なタイトルだと思いませんか? 私はこのおまじないみたいなタイトルを口にするのが面白くて何度も呪文のように唱えてしまいました。ふといたずら心が湧いて、本当なら「ペニー・ロイヤルの鬼退治」では?と頭の中で片仮名・漢字をあててみたものの、この物語の印象がまるで変わってしまっていただけませんでした。語感だけでなく、字面から生まれるひらがなの世界観というのがあるんですね。1人で読むときも、読み聞かせてあげるときも、私からのおすすめは言葉を切らずに一息に言うこと。そうすれば不思議とこの物語に入っていく準備ができあがりますよ。 どうぞ手にとってお楽しみください。 ※イタリック部分は本書『ぺにろいやるのおにたいじ』から引用しています。 ※参考「こどものともの歩み その1」松居直から要約

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