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アートの起源から「尾野一矢さんの声」を考えた

日曜美術館

杉本博司の江の浦測候所




悠久の昔、古代人が意識をもってまずしたことは

天空のうちにある

自身の場を確認する作業であった。

そして、それがアートの起源であった。(杉本博司)


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私は岡山県倉敷市玉島 沙美海岸のそばで生まれ、瀬戸内海ちょうど真ん中の真鍋島で教員生活をスタートした。この問いの中に生きてきたように思う。


この風景を古代の人も見ていたのだろう、それは今現在も変わらない。

原点に人間が戻る場所は「海」であろうと思う。


今一度、原点にもどり、思考をめぐらす時間が必要だと思う。

コロナ第7波、最後の時間を与えていただいている感覚もある。



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              人類史の悲劇被爆した石


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           信長の焼き討ちにあい、阿鼻叫喚を観た石

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江の浦測候所を2018年2019年2度、ここをゆっくりと歩いた。

光学ガラスの能舞台で演じられた。

まさに古代遺跡のなかに、石が避難している場。

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悠久の昔、古代人が意識をもってまずしたことは

天空のうちにある

自身の場を確認する作業であった。

そして、それがアートの起源であった。(杉本博司)



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尾野一矢さんが声を出す時間を想起した。

大きな声を、リズムのある声。

かれは「自分の位置を確認」していたのではないか。


声をだすこと、吐くことは「いのちの位置」を自ら確認するアートの源流ではないか。



たまたま最近健常と分けられた者は「自分の位置」を確認できているのだろうか。

アートは「ものを考えさせるPUREJOB」をいただく。

遠ざけるよりも人類がアートの源流に立つためにそばにいてほしいと思う。


 
 
 

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