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『柳井さん、戦争は?』

『きりん』1950(昭和25)年6月号所載
『きりん』1950(昭和25)年6月号所載

 今朝(8月28日)の連続テレビ小説『あんぱん』に、以下のような会話がありました。


 ある日、主人公の嵩にファンレターをくれた少女佳保が、祖父の砂男に伴われて柳井宅を訪れます。少女が嵩のパートナーのぶの妹蘭子と屋外で話しているあいだ、砂男、嵩、のぶの三者が嵩の詩集の魅力について語り合います。


のぶ 嵩さんの作るものには、いろんな人との出会いや別れが詰まっているからなのかも知

   れません。

嵩  なにか少しでもお役に立てたなら、あの詩集を出して、良かったです。

砂男 柳井さん、戦争は?

嵩  はい、中国に。

砂男 そうですか。あなたの書く詩には、よろこびの裏に、どうしようもない悲しみが滲ん

   でる。きっと、大変なご経験をされたんでしょう。

嵩  …忘れることは、無いと思います…

砂男 柳井さん、孫にも私にも、生きる力をくれて、ありがとう!


                                 (脚本 中園ミホ)


 この間、老人と復員兵だった嵩との会話をうつむきながら聴いているのぶの表情。質問と返答とに挟まれる沈黙。会話を終えた三人がうつむいて無言のうちにしばしたたずむ情景。

 場面転換を経て、サイダーを飲みながら佳保と話していた蘭子がつぶやく台詞――

「佳保ちゃんと私、好きな詩が同じなの……」


 この2年間、『きりん』を創刊号から一冊ずつ読み続けて来た私には、今朝の15分間の物語が『きりん』の成り立ちをそのまま凝縮して伝えているように思われてなりません。

 特に、砂男の嵩への問い『柳井さん、戦争は?』の響き。

 この問いは敗戦後の日本の津々浦々で、このシーンのように迷いと沈黙のあわいから発せられ答えられた、市井に生きる市民が暗黙のうちに分ち合った「ねぎらい」だったのです。

 おそらく、嵩の詩と同じような「ねぎらい」が、不器用な「はげまし」が、『きりん』を埋め尽くしているのです。

 私が『きりん』の頁を一枚一枚繰りながら、そこに溜息がもれるような共感や震えを覚えたのには、こうした背景があったのです。

 

 詩が、人間に生きる力を与えること。

 「戦後」80年の夏に、忘れてはならない、大切な原点に立ち戻らせていただきました。

 目下、『きりん』の足跡をたどりつつ、現代に投げかけられた問いに向き合う日々です。

                              (2025年8月28日)


◎冒頭に引用した作品の作者についてご存じの方がおられましたら、ご一報ください。

 



 
 
 

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