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『浮田要三小論(哲学的考察に於いて)』を読む~①

 1924年9月15日、大阪市に生まれる。浮田要三。これがボクです。

 ボクは生まれながらに不器用で、物覚えが悪く、普通の人の3倍かかっても正確に覚えられない。これはやっかいな人間です。日本の学校にあっては、まさに劣等生でありました。けれども、ボクはほとんど悲観したことはありませんでした。そして、人間の値打ちというものがどこにあるのだろうかと、幼いころからよく考えておりました。

 人並みにボクは自分がかわゆくて、自分でどんな人間なのかそれを知りたくて、何となくそんなことをよく考えておりました。やはり自分についての関心が深かったのでしょう。ボクが物心ついたころには、ボクの持ち味が良いことも悪いことも含めて可成りはっきりと自覚されていたように思います。


 扉野良人氏を中心に編まれた『浮田要三の仕事』(2015年りいぶる・とふん刊)巻頭に置かれた、浮田要三自身による論文の書き出し。後の89年の生涯に亘る思索の原点が、すでにその幼少期に芽生えていたことを示す明晰な言葉である。

 これまでにも何回か読んでいたこの文章を読み直して、私は今回、新たな感情が自分の内に湧くのを覚えた。

 「日頃私の前に現れる子どもや若者の内面にも、こんな物思いが人知れず隠されているのではないだろうか?」

 今、「私の前に現れる」と書いたが、実のところ「未だ私の前には現れていない」相手もいる。つまり、我が子を心配した母親や父親が語る逸話の向う側にいる子どもや若者も多いのである。つい最近も、そんな少年に「出会った」。

 おそらく間違いないのは、「私の前に現れる子どもや若者」の多くが、浮田少年のように「悲観」することなしに、「人間の値打ち」について考え、「自分がかわゆく」思え、自分の「持ち味」を「自覚」できてはいないことだ。もし、それができていたら、彼ら彼女らは私の前に現れなくても、それぞれの場で生きていられただろうから。

 一人ひとり異なる資質を具えてこの世に生を享け、家族に囲まれ、親と触れあい、やがて「他者」とのかかわりへと歩み入る。誰もが、それぞれに与えられた生活環境の下で年齢を重ねる。そうした固有の自分史の中で、傷付き(トラウマ)を抱える時が来るのだろう。

 最近、つくづく思うのは、そうした傷付き体験がその場で誰からも手当てを受けないまま放置された結果、独力で乗り越える痛ましい方略を経て未解決のまま固定化されてしまう、という出来事が多いのではないか?ということだ。

 私の前に現れる彼ら彼女らの多くが、身に運んでいる「体験」に手当てを受けていない。

 このような実感の中で生活している私には、あらためて浮田さんの文章の書き出しが湛えている「哲学的なエゴイズム」(「『きりん』の絵本」中の言葉)の尊さが痛感される。

 十余年に亘って児童詩誌『きりん』の編集と販売に携わる中で、浮田さんは数え切れない子どもたちの詩や画を通して、かつての自分のような『思索する人間』に出会った。

 9月17日から小海町高原美術館で開催する「浮田要三と『きりん』の世界」展は、その出会いの純粋さと深さを、この戦争の止まない時代の只中で受け止め直す機会となろう。

                              (2022年5月7日)    


       『浮田要三の仕事』(2015年刊) 展覧会にて販売予定

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