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死者と共に生きる道

 最近、代表理事の西さんが長野県富士見町の高森草庵を訪問されました。これは、母屋の床の間に掛けられた軸の写真です。

 高森草庵はドメニコ会というカトリックの一宗派に属する修道院ですが、茅葺屋根の庵が散在する風景からは、むしろ禅寺に近い印象を受けます。

 

 われ生くるに非ず

 何人か

 われに於て生き給うなり


             成人


 草庵を創設した庵主押田成人神父(1922‐2003)の手による聖句の書です。

 

 使徒パウロの言葉で、従来の文語訳では「我生くるにあらず、キリスト我がうちにありて生くるなり」と訳されてきた個所です。

 私自身、これまで何回もこの軸の前に座ったことがありましたが、今回、西さんの写真を見てはじめて気がついたことがありまあす。それは、この書では「キリスト」が「何人」と書き換えられていることです。

 押田神父独自の聖書解釈、と言ったのでは充分でない、もっと深遠な奥行きを宿した表現だと私は感じます。晩年に自ら訳したヨハネ福音書では神を『隠れ身(カムイ)』と呼んだ神父ですから。

 「キリスト」が「何人(なにびと)」に成ったコトにより、この文章の示す世界が万人に開かれたのではないかと思われるのです。つまり、「死者と共に生きる」人間の姿が宗教や思想の枠を超えた象(かたち)に昇華されたのです。

 もはや、ここで「死者」とは「すでに喪われた不在」ではなく、「今も生きている存在」なのです。

 私が今、なぜこうして、一般社団法人ぷれジョブのホームページにこの文章を寄せているのか?と不思議に思われることでしょう。

 そうです。「何人(なにびと)」を「ともかちゃん」に置き換えると、そこにぷれジョブを語る西幸代個人の経験が立ち昇って来るのです。

 

 ところで、私はこの写真を見て、自分自身がこのボロ機(ばた)から成る軸のような存在なのだ、と気づかされたのです。風に吹かれれば自らが擁する貴い言の葉をもぎ取られかねないほどに弱々しい、一片の布切れにそっくりな。

 この軸装は神父を看取られた修道女の手仕事です。機を織り、師の書を静かにそこに置くまでの彼女の呼吸がその姿に宿されています。これぞ正しく、『高森を生きる』と言われる草庵独自の「死者と共に生きる道」のありようなのです。


 梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に詠われた一節、


 遊びをせんとやうまれけむ


 にぷれジョブの消息を託す西さん自身の存在もまた、ボロ機のようです。

 ほつれやゆがみを含んだまま、死者からの音信(おとづれ)を運ぶ器として選ばれた者にだけ課されたいばらの道がある。

 書の中央の「何人(なにびと)か」の細々とした筆遣いが、良寛の字に似ている、という点で、ふたりの意見が一致しました。 


 追伸;

 この文章を、私の個人的な限界から書き上げることの出来ないまま据え置きの状態にしていました。ところが、今日の未明、押田神父が私の夢枕に現れたのです。実に、それは私が生前たった一度だけ対面した師との、はじめての再会でした。

 この文章の題名に照らしても、ここまで書いたのなら公表せよ、という声を聞くような気がして、ここに校了します。夢の中での師は、直弟子による人物評のとおり破天荒でしたがその一挙手一投足に底抜けの赦しが溢れておりました。





 


高森草庵母屋に掲げられた押田神父の書(ボロ機による軸装)

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