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縁の下の力持ち

 数年来のコロナウイルス感染症の影響に加え、例年にない猛暑が続いています。 

 そうした中ではありますが、おかげさまで「浮田要三と『きりん』の世界」展の準備も着々と進んでおります。

 個人的に、展覧会リーフレットを編集する過程で、今まで知らなかった浮田要三さんや『きりん』や『具体』に関する多くの情報に触れ、とても豊かな時間を過ごしています。

 今回、普段皆さんの眼に触れることが少ないと思われる文献から、浮田さんの果たされた役割について『我が意を得たり!』と膝を打った文章をご紹介させていただきます。

 

 『きりん』というのは、井上靖、竹中郁、坂本遼、足立巻一ら、そうそうたる面々が関わっているんです。だけど、いくらそんな偉い人たちがいても、浮田要三がいなかったら絶対できなかった、そういうものなんです。でも、あれだけの仕事をしながら、浮田さんは貧乏してたんですよ、もう延々と。『きりん』では全く食えなかったんです。ぼくも側からみてて、一介の貧乏教師に支援などできるはずもないんですが、本当に気の毒でした。しかも、浮田要三の名前なんかほとんど表に出ないでしょう。

 ぼくもちょっと惚れ込みすぎてるかもしれないんですが、浮田要三というのは、本当に不思議な人ですねぇ。山滝小にしろ、深江小にしろ、他にもいくつか、当時前衛的な仕事をしていた小学校の教師たちがいるんですけど、あれは自然発生的なものではないんです。浮田さんたちが現場に出向いて、教師たちと話し込むことによって育てている、そういう側面があるんですね。灰谷もそうだし、ぼくもそうなんです。灰谷は最初『せんせい、けらいになれ』という本を出したんですが、あれは浮田さんが、『きりん』に書かせたものが原型なんですね。そこを土台として、彼は作家として自立していったんです。浮田さんと出会っていなかったら、今日の灰谷健次郎もいなかっただろうし、ぼくもそうだと思います。ぼくの場合、現場の教師としてですけど、全く自立して仕事ができるようになったのは浮田さんの影響です。だから、かなりの人間を育てているんじゃないですか。同様な人は、数は少ないけれども関西には何人かいるんです。そういう点では、非常に稀有な存在ですね。今は絵描きとしてちょっとは名前が出てきたかもしれませんが、自らは延々と縁の下の力持ちだったんです。

      ( 滝口豊一 『美育――創造と継承』29頁 『きりん』と浮田要三 より)

     

 芦屋市立美術博物館によるこの展覧会カタログは、美術教育に関わろうとする者にとって必読の資料と確信します。今回は、お願いして展覧会場にて在庫を取り寄せて販売する予定ですので、興味のある方はぜひともお買い求めください。

 滝口さんと灰谷健次郎の交流や、ご自身と自閉症児とのかかわりを描いた『ボクノコト、ワカッテホシイナ』、更には今で言う『重度訪問介護』事業を先取りした教育実践について書かれたこの文章は、一人でも多くの実践家にお読みいただきたい貴重な教育の記録です。

 ご親族の小崎唯さんからも、滝口さんが毎週末浮田宅に子どもたちの絵を持参して来られた思い出を拝聴しました。ここに、今回の展覧会で私たちが最も大切にしたいと願っている『子どもと大人が対等な関係で向き合う文化』を再考するためのヒントがあるのです。

 お盆明けには、皆さんにも正式な展覧会のご案内が完成する見通しです。

 この秋、小海町高原美術館にお越しいただければ、おせっかいな私たちが浮田要三さんを「縁の下」からお呼びしたいと思った理由が、皆さんにもおわかりいただけるでしょう。

 写真は、展覧会を記念したYOZO UKITAデザインTシャツ(柄は2種類有り)です。会場で手に取ってご覧いただけますので、どうぞお楽しみに!


                             (2022年8月11日)   

 

    「浮田要三と『きりん』の世界」展を記念したTシャツ(デザインA)

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